2月25日(日曜日)は朝一番で沖縄県立博物館に行き、美浜アメリカンビレッジでランチをして、午後は北中城村にある重要文化財「中村家住宅」を見学に行きました。沖縄の民家は琉球村で数多く見ましたが、国の重要文化財の指定を受けているのは「中村家住宅」だけです。「中村家住宅」は18世紀に建てられた支配階級の住居で、琉球の英雄で築城家「護佐丸」が中城を築城して、読谷村からこの地に移って庄屋の様な支配階級として存続してきました。

此れが重要文化財の中村家住宅です、重厚な石垣で囲まれているのは、台風対策であると同時に防御を固める為でしょう。

沖縄の民家で先ず気付くのが道路から敷地内に入ると正面にある衝立状の堅固な石積みです琉球村の旧家では「ヒンプン」と案内していました。目的は「魔除け」と説明してありまあした。処が此処中村家住宅で見ると魔除け(呪術)よりも、目隠しや防御等実用的なや鍬を果たしているとおもいました。

中村家住宅の正面に設置された「ヒンプン」も石垣と同じ琉球石灰岩でできていました

次に目を奪われたのは赤瓦の屋根です。沖縄の土で作られる赤瓦は、通気性・断熱 性に優れ、屋根の木構造を湿気から守り、 かつ沖縄の強烈な日差しによる建物の温度 上昇を和らげる効果があります。 台風で瓦が飛ばされないように漆喰で塗り固められています。

中村家住宅の屋根は赤瓦で葺かれています。

赤瓦の材料は『クチャ』と呼ばれる粘土質の土です。そんな『クチャ』と粘度調整の為の『赤土』を合わせて焼きます。

赤色の理由は焼くときに鉄分が酸化して赤くなるからでしょう。赤は魔除けの色ですし、赤瓦を固める為に塗り固めた漆喰は石灰ですから、赤と白のコントラストが強烈で南国沖縄に相応し景色を作っています。その中央に「シーサー」が君臨してます。今回の沖縄旅行の2日目には読谷村「やちむんの里」を見学しました。ヤムチンの里の土は総て赤い粘土で巨大な登り窯も赤い粘土で造成されていました。

読谷村の「ヤムチンの里」の巨大な登り窯全体が赤い粘土なのでした

次に着目したのが屋根の端です。本土の民家では屋根にい降った雨を受ける為に「樋」を設えて雨で軒裏を腐らない様に工夫し更に地面には小石を敷いて「犬走り」を設え屋根から落下した雨雫で雨戸や壁を保護しています琉球民家では「雨 端」と呼び自然に即応した造作をしています。主に家屋の南面と東面の縁先に柱を立てて 軒を深くした庇。亜熱帯特有の激しい 雨風や強い日差しを遮る知恵がみられます。 屋外と屋内の空間をゆるやかに繋ぎ、訪問 客との歓談の場になっていました。琉球村ではその縁側に腰かけて日差しを避けながら民謡を愉しみました

中村家住宅の深い軒先と縁側を確保知る為に庭に庇を支える柱を建てています。

長い庇の軒裏は水ハケの良い葦簀で葺かれていました。

これが重要文化財中村家住宅の平面図です。母屋(宇夫屋)は南向きに建って居ます、母屋は西から客間仏間居間と並んでいます。中央が仏間です。西側(左)に豚小屋(フール)や納屋が在って主屋の西側(左)に「トゥンガ」と呼ばれる台所があります。母屋の前の建物は「高倉(穀物倉庫)」で右の建物は離れ座敷(アシャギ)と呼ばれる隠居部屋です。

最後は「屋敷囲い」です。既に備瀬のフクギ並木を見学した時に漁師の里を強風から守るフクギの美しさには関心していましたが、中村家住宅は一戸だけではあっても屋敷囲いをしてありました

中村家住宅の裏側(北)を周遊する北側は丘を削っているので台風は避けていますがフクギ等で防風林で囲まれていました。

内地でも沖縄でも民家の美しいさは同じです。自然環境の与件に順応して合理的に民家を造作すれば自ずと民家美が実現されます。私達が中村家住宅を見学した日は日曜日(2月25日)でしたので偶然に「コスプレ2024」会場になって言いました。若い人達がコスプレを競って褒め合っていましいた。コスプレしなくってもスッピンでも美人なのに思いいながらお嬢さんの素肌を見つめました。

2月25日は中村家住宅と中城でコスプレした若い人の熱気があふれていました。

                                  【了】。