2月24日は沖縄旅行3日目、ソロソロ沖縄の風土が自分に適している事が判って来ました。この日は沖縄の南端方面に向かう事にしまあした。z最初の目的地は「斎場御嶽」です。御嶽(うたき)とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で、斎場御嶽(セーフ―ウタキ)は琉球開闢(りゅうきゅうかいびゃく)伝説にも表れる、琉球王国最高の聖地です。また、琉球国王や聞得大君(きこえおおきみ)の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り(アガリウーマイ)」の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されています。日本神話で古事記に創生神話がある様に琉球神話では穀物の神々が沖縄本島の南端に浮か久高島」に来訪神が上陸したと伝え、聞こえ大君に代表される琉球国王が来訪神を敬い祀った事になっています。日本神話や大和朝廷と伊勢神宮の関係に似ています。御嶽の中には六つのイビ(神域)があります。はこの六カ所を参拝しながら、国家繁栄・安寧、五穀豊穣、航海安全などを神に祈願したさおうです。琉球王国時代、国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島から特別に運び入れ、それを御嶽に敷きつめました。その祭事の中でも、最も大きな行事が、聞得大君(きこえおおきみ)の就任式である「御新下り(おあらうり)」でした。BSNHKで仲間由紀恵さんが主演で「聞こえ大君役」を演じ中国(清王朝)と薩摩藩の欲望の的になって聞こえ大君役と琉球王の二役を熱演されました。

BSNHKのテンペスト(嵐)で仲間由紀恵は一人二役を熱演されました

沖縄は恩納村は雨天でも南城市に近付くにつれて晴れ間が出て来ましたヤシの並木道の向こうに山が見えて来ました。息子に聞くとあの山裾が海に沈む辺りの巌谷が「斎場御嶽」だ。という事です。

沖縄本島を周回する国道331号線の遠くに山が見えて来ました・アの山裾の巌谷が「斎場御嶽」です

「斎場御嶽」の駐車場には大きなレストハウスがあって土産物店やレストランがありました。レストハウスには「斎場御嶽」の見所等が案内されています。レストハウスから「斎場御嶽」迄は登り道で10分程歩きます土産物店舗や軽食店が並んでいます。そんな中に囲碁の藤沢名人館があって火炎樹がさいていました。

琉球王朝時代の聖地とグスク(城)を案内する地図

「斎場御嶽」のレストハウスに掲示されていたパネル。付近の名所とサンゴ礁の海が確認出来ます

これは「斎場御嶽」を参詣する時に国王が乗る蓮台です

仏教の聖樹の一つ火炎樹の花

「斎場御嶽」の入口近くにあった藤沢秀行記念館、藤沢名人は沖縄生れなのでした

「斎場御嶽」の入口で入場券を求めると控室に導かれてDVDで一応の解説を受け、聖地を汚さない様に注意事項を確認されます。伊勢神宮を参詣して内宮を参詣してその裏の森に踏み入る様な感覚です。唯一違うのは聖地に育つ植物相です。「斎場御嶽」は照葉広葉樹林であるのに対し伊勢神宮は「針葉樹林」です。巨岩に神を観る想いは琉球も大和も変わりません。

此れは「斎場御嶽」の入口管理棟です

斎場御嶽」の入口管理棟では待っている時間にDVDで説明と注意事項の説明を受けます。沖縄人の聖地なので汚すと沖縄人を侮辱する事になります

此れは「斎場御嶽」で巫女が祈願する様子です。

此処は「斎場御嶽」を周遊する道の入口です

これは斎場御嶽周回路にある久高島遥拝所から島を観た写真です。沖合の島に神々が上陸して沖縄に穀物を伝えました。

これは斎場御嶽の巌谷です。岩石は琉球石灰岩で鍾乳石が目立ちます

これは斎場御嶽の周回路です。熱帯の密林の様です

これは斎場御嶽の最高のパワースポットです。大きな巌谷の割れ目の奥には「棺」状の石室が並んでいました

内地の聖地にも巌谷は沢山あります。平泉の「達谷窟毘沙門堂」も大きな巌谷に毘沙門堂を建てたものですし、伝説の「天の岩戸神社」も巌谷です。雪舟が描いた「達磨図」も巌谷でした。

高千穂町の「天の岩戸神社」も巨大な巌谷に在ります

此れは雪舟の描いた「慧可断碑図/国宝」です中国の禅宗二祖慧可が、初祖達磨に弟子入りするため、

自らの左腕を切断して決意を示した、という伝説を描く。

近年邪馬台国論争が再度関心を集めています。邪馬台国の女王「卑弥呼」は国王であると同時に最高の巫女で「祭政一致」だったと云われています。沖縄の「斎場御嶽」は卑弥呼を想わせますし、BSNHKで放映された「テンペスト」は美しい巫女であり同時に国王として琉球国を守ろうとしたドラマでした。         【了】。