2月22日朝一番で「チビチリガマ」を参詣して、次の目的地読谷村の「座喜味城跡」に向かいました。座喜味城跡の拝観券を求めて事務所に入ると、思いがけない事に事務所に隣接した展示場に「ヤムチンの展示」が行われていました。「ヤムチン」とは「陶器」の沖縄の方言で「ヤム」とは「焼き」の意味で「チン」とは「モノ」の意味ですから焼き物の意味です。琉球王朝が朝鮮から陶磁器の技術者を招き首里城に近い「壺屋」で陶器を焼かせていました。其れが、日本での民芸運動に触発され評価が高まりましたが、1960年代那覇市の粉塵公害問題で那覇から撤退させられ現在の読谷村に移転して「ヤムチン/陶芸の里」になったのでした。陶磁器の製作の為には先ず「良い陶土」が必要です。沖縄焼き物の特徴は先ず赤土の陶土にあります。赤土は陶土の中に酸化鉄が多く含まれているのでしょう。作品を観察していると赤土粘土の他に白土粘土(ハロイサイトと石英)も目立ちます。次に必要なのは釉薬です。釉薬の製造には灰と長石を主原料にしてミルで細かく磨り潰して更に「緑釉」では、これらのほかに酸化銅をプラス
「飴釉/飴色」では、酸化第二鉄をプラス「コバルト釉」ではコバルト成分をプラスします飴色と緑色と群青色で三彩で美しいヤムチンが出来上がります。釉薬で紋様を描いたり、かけて焼き上げるとヤムチンの表面がガラスのようにコーティングされるので、水分を吸収しにくい、傷がつきにくい、汚れにくい、壊れにくいなどの効果がにつながる、とても重要な役割を果たしています。現代の沖縄ヤムチンは国内の民芸運動の影響も敏感に受けて掻き落としや釉薬を線状に塗り付ける「七宝焼き技法」等を吸収しているようです。

読谷村の「ユンタンザミュージアム」は座喜味城跡入口にありました。

「ユンタンザミュージアム」玄関のシーサーは沖縄固有の赤土粘土の素焼きです

この壺は漬物用でしょう「石勘富」と書かれているのは厄除けです

この作品は「蟹・蝉海老按瓶」宮城三成作でした様々な釉薬と技法を駆使した伝統的なヤムチンです。

私達はこの後読谷村の第一の名所「座喜味城」を観て「ヤムチンの里/陶器村」にむかいました。沖縄旅行の記念に日常食器を求めようと思ったのでしたが、先に現代作家の秀作を観てしまったので「ヤムチンの里」では製作風景こそ観察出来ましたが一つも購入出来ませんでした。

「ヤムチンの里」の製作工房台風で倒されない様に家屋を支えています

「ヤムチンの里」の上り窯先年台風で壊れたと報道されましたが、修復され現役復帰しているそうです

土産用の沖縄陶器の販売店

読谷村の工房は30余りありましたが週半ばは交互に休んでいる様でした

ヤムチンの人間国宝と云えば金城次郎です。何処の工房も「金城」の名が付いていて、工房内には故金城次郎氏の遺影が掲げられています。同氏は此処の工房で製作に励んで居られた聞きましたが、どの工房がその正統な後継工房であるのか不明でした

人間国宝金城次郎氏作の大皿釉薬の美しさと共に輪郭を削った線刻にするなど国内民芸に見られる技法を駆使しています。

読谷村ヤムチンの里は広大な丘陵の上に在りました。ヤムチン工房の他に土産物店舗やレストランが集積しています。工房は広い丘陵に点在しているので、隣の工房に行くには並木道を5分程度は歩かなくてはなりません。並木道には「ハブに注意」看板が立っていますが、野良猫が並木の根元で寝ています。ハブ対野良猫の戦いは頻発している事でしょう。

読谷村ヤムチンの里の工房間をつなぐ並木道(フクギ)、フクギは「ハガキの木に似た照葉広葉樹)ですが防風林として有効です

沖縄の自然に無用なモノは何一つない様です。屋敷森に使われているフクギは防風林であると同時に防火林になるそうです。ヤムチンを焼く薪としても紅型の染料にもなるようです。           【了】