昨日は横浜の中華街に出かけて春節を祝いました。春節は正月初一を示す言葉であり、古代においては元旦と称されていました。元とは始まるの意味であり、旦とは日の出を示す象形であることから、元旦は最初に日が昇る一日です。我国は太陽節を選択したのは明治5年(1872)でしたので、現在は世界基準の暦に従っていますが、遠い太陽よりも近い月の影響を強く受ける農業等は太陽暦よりも太陰暦の方が実用的なのです。私の体調も太陰暦の方が太陽暦よりも適切なのです。現に今朝は雨が降って庭は一面湿って椎茸も蕗の薹も生育しています。太陰暦の24節気候でも今日は「雨水」で雪が消えて雨が降り出す日です。雨水が過ぎればつぎは3月5日の「啓蟄」で3月20日の春分迄日に日に冬が遠くなって春が身近になります。生活習慣を大切にしてている中国や台湾では春節の方が太陽暦の元旦よりも愛着があるのです。横浜市民は地元の中華街に出て春節を祝う人が多いのです。今年はコロナ禍で控えていた春節の行事も復活して旧正月のお祝いが出来ました。中華街の春節祭事は18日の午後から1時間毎に3回山下町公園を会場に開催されます。私(と妻)は午前中に三渓園を観て夕方4時から始まる春節祭事に参加しようと出かけました。夕食を香港路の家族経営の店で済ませて関帝廟を詣でて春節会場の山下町公園に向かいました。中華街の春節祭事も4年間のお休み後なので随分変わりました。一言で言えば「中華街」の行事を横浜中に拡大した様なモノです。横浜中の盛り場をお祭り気分で満たそうと桜木町や伊勢佐木町にもランタンを飾って旅行客を分散させようと計画しまあした。ランタンとは中国の提灯のようなモノで今年は公式マスコットの様にして1100円で販売していました。若くて溌溂とした女性がLEDライトのランタンを手にして薄暗くなった中華街を歩いて異国情緒を楽しんでいました。新しい習俗が生まれそうな気配です。

 

これが今年初めて登場した春節のランタンです伝統意匠とLEDを使った新機軸(美しく機能性がある)です

此方は従来からある中華大通リのランタンの龍

此方は神奈川芸術劇場に設えられた仏陀

中華街の山下町公園に展示された鳳凰と龍のランタン

中華街の山下町公園に展示された龍のランタン

横浜市営地下鉄桜木町駅に展示された桃と蓮のランタン

此方は中華大通リにある「萬珍楼」のランタン

此方は中華街加賀町警察署に設えられたランタン

加賀町警察署のランタンを観て中華街南門に向かうとコロナ禍で閉店した聘珍楼(万珍楼に並ぶ老舗)の工事も終えて新業態での事業を確認出来ました。老舗中華料理店は閉鎖して1階を喫茶店と土産物店に改造しまあした。私が老舗店に入った最後が私の喜寿の祝い席でその前は祖母の白寿の祝い席でした。企業や大家族の注文も減ってしまって老舗中華料理店も業態の変容を強いられているのでしょう。

横浜中華街の南門右側が旧聘珍楼のあった新ビル、旧ビルを建て替え喫茶店と土産物やとネット販売の拠点にしたようでした

 

中華街の南門から東に向かうと関帝廟通リに向かいました、その間に中華学院があります。中華学院は数年来工事中でしたが立派に綺麗に新築され校舎は高層になり校庭は広くアンツウカーが敷かれました。女学生が数人春節で被露するダンスの稽古をしていました関帝廟通リに面した塀は赤レンガ積で歴史を案内していました。中華学院は1897年に孫文がヨーロッパから来日して初の華僑による学校(中西學校)の創立を提議して、多くの華僑を初め日本人の協力を得て始まりました。

横浜中華学院の塀に作られた歴史案内板

新築された横浜中華学院の校庭でダンスの練習をする生徒さん、春節で被露する獅子舞も龍舞も此処の練習の成果です

中華街のパッチコッチを観て回り関帝廟と媽祖廟にお参りして最後に行ったのが春節メイン会場の山下町公園でした、本日最終ステージの最後を締めるるのが龍舞でした。何度も観て来た中華学院生徒サンによる龍舞ですが、今年は黄金の龍を用意していました。私の記憶では赤や青で、黄金色は初めて見ました。屹度佳境の皆さんが財を寄付して新造したのでしょう。華僑の団結力は大変に強いのです。日本の政治家の様に財を貪る事は無く、文化の伝承や子孫の育成の為には惜しみなく浄財を寄付するのでしょう。素晴らしい龍舞を観て春節をお祝い出来ました。

横浜中華学院の生徒サンによる龍舞

横浜中華学院の生徒サンによる龍舞は今年黄金色のド迫力の龍が用意されていました

横浜中華学院の生徒は会場を勢い良く走り回って最後はステージに戻りました

横浜中華学院の生徒はステージ上で龍のトグロを見せて拍手を受けて演舞を終了しました。

         【了】