節分の「恵方巻」騒動が終わると、町中が「チョコレート」一色に塗り替わりました。バレンタインデーは2月14日なのです。私が子供の頃はPX(米国進駐軍)がくれる「板チョコ」くらいで、現在の様な高級チョコレートは在りませんでした。バレンタインデーは「聖バレンタイン」の生誕を祝う日で、日本だけが女性が男性に好意を示す慣習でチョコレートを贈る日として定着しているようです。

大船駅前の「フードタイム伊勢丹」ではバレンタインチョコの販促に力が入っています

チョコレートの原料はカカオの木になる果実の種を焙煎しおて更に練って砂糖や香料を加えてお菓子や飲料にしたものです。スペインが米国大陸を発見して今のペルーやコロンビアでカカオ豆を初めて知って、自国に持ち帰ってチョコレート菓子を作り始めました。珈琲と似た歴史を持っているのです。多くのチョコレートメーカーが「ダイレクト取引」や「フェアートレード」を標榜しているのも珈琲と同じです。

カカオ豆とカカオの木に稔る「カカオ豆」このラクビーボールの中から種(ナッツ)を取り出して焙煎します。

カカオの樹が育つのは、北緯20度から南緯20度くらいまでの熱帯地域。赤道に近く、高温多湿を好むカカオの生育に適したこの一帯は「カカオベルト」と呼ばれています。

これが「カカオベルト」です「珈琲」と略同じ熱帯です。

カカオベルトが位置する地域は、アフリカ・中南米・東南アジアの国々などです。処が日本が輸入しているカカオ豆は「森永製菓」と「明治製菓」「ロッテ」の三大企業で何方も主要輸入先が「ガーナ」なので、日本のカカオ豆の8割はガーナ産です。

ロッテの板チョコ、ガーナチョコレート

私が博多勤務時代に博多の老舗和菓子メーカー「石村萬盛堂」がバレンタインデーのお返しに「マシュマロ」を売り出していました。鶴の子が主商品でしたが餅皮に代えてマシュマロで「栗」や「イチゴ」や「チョコ」を包んだ洋菓子でした。

これが石村萬盛堂が世の男性の為に売り出したバレンタインデーのお返しに用意した鶴の子の洋菓子版の「マシュマロ」です。

日本は長い封建時代を通して女性が男性に好意を告げる事は憚れました。でもTVで「光るきみへ」を観ていると若いまひろ(紫式部)は恋歌の代書を得意稼業としていました。

光ル君へでまひろ(紫式部の幼名)は恋文の代書を稼業にしていました

私の学生時代には渋谷の道玄坂と東急百貨店本館通リを結ぶ裏道が「恋文横丁」と云った名の「恋文代書屋」が集積していました。今行けば一〇九の裏側で109で買い物を楽しんだカップルが入るホテル街になってしまった様です。

今は既に無い「道玄坂百貨店」の脇に恋文横丁がありました。

恋文横丁のルーツは「スズラン横丁を舞台に丹羽文雄氏が新聞小説「恋文」を発表して映画化される様になって裏道の名前が変わったのだそうです。道玄坂で飲んだ親爺が立小便する汚い裏道でした。恋文横丁は弘前にも佐世保にも在った様です。屹度横須賀の様な米軍基地のある町には恋文の代書屋があって和文英訳したりして稼いでいたのでしょうが、今はスマートフォンで通訳してくれます。便利になり過ぎると情念は煮詰まらず文学に昇華し難くなってしまうのでしょう。聖バレンタインはローマ皇帝に反抗してキリスト教の信念を貫いた聖人で恋人とは無関係でしたが、チョコレートを販売し洋菓子のモロゾフが恋人にギフトするチョコレートとして日本人好みの甘さと渋みがミックスしたチョコを売り出して、古代からの女性の秘めた恋心の発露を切り開き、本命用チョコと義理チョコと自分へのご褒美用のチョコを売り出したのでしょう。今年も妻は息子達に本命チョコを用意して私のには昔ながらの板チョコを用意するのでしょう。牛乳に溶かしてチョコレートドリンクにしましょうか!  【了】