先週久々に伊勢佐木町に遊びに出かけました。横浜市民にとって盛り場と云えば第一が伊勢佐木町でした。横浜市立小学校では江戸時代に伊勢佐木町一帯は湿地であったモノを吉田新田を開発し明治初年に伊勢商人だった伊勢文蔵と神奈川奉行であった「佐々木信濃守」が共同して町を開発したので「伊勢崎町」の名前が冠した、教わりました。現在は横浜第一の百貨店は「高島屋/横浜駅西口」ですが、昭和30年代迄は横浜駅西口は相模鉄道の砂利置き場でした。私は祖母に連れられて伊勢佐木町に松坂屋に遊びに行きました。大学生の頃には「伊勢佐木町ブルース/青江三奈」が流行っていました。あの松坂屋前にはユズが路上ライブをしました。現在では松坂屋は閉店して複合店舗「カトレヤプラザ伊勢佐木」が出来ています。謳い文句は「横浜松坂屋」の様に市民に愛されるモールだった筈でしたが、今あるモールは百円ショップと崎陽軒と日本競馬会で、横浜市民の記憶や期待とは程遠いビルになっています。

夏の伊勢佐木町街路樹は桂です。

伊勢佐木町通リを南に歩いて遊郭のあった吉野町近くの大規模駐車場脇には「伊勢佐木町ブルース」の記念碑があります。

横浜松坂屋は退店して跡地は低層ビルにして「カトレアプラザ」が出来ています。此処でユズが路上ライブをしていたのです。

此れが現在の伊勢佐木町通リです。冬枯れの桂の街路樹は一見健康そうに見えます

桂の街路樹は根元を踏まれない様に保護されていますが、

全面をコンクリートで覆われているので根は吸水出来ずに瀕死状態でしょう。

瀕死の桂の街路樹は倒壊リスクを避ける為伐採されました。でも髄を観察するとカミキリムシの食害に遭っています。

此方の桂の街路樹は見事に中心部の瑞を食い荒らされています。

 

伊勢佐木町通リの管理者は横浜市です。横浜市は山手通リや日本大通リの街路樹に「銀杏」と「桂」を選択しました。何方も暑い夏には緑陰を提供し秋には黄葉して目を楽しませてくれます。冬には落葉して日向を提供してくれます。選択したのは百年前関東大震災直後の復興計画時期だったのでしょう。デモ木材自由化に伴って樹木の天敵「カミキリムシ」が襲って来る心配はしませんでした。その結果カミキリムシが大発生して横浜中の果樹や街路樹が食い荒らされてしまいました。

クビアカツヤカミキリ」による樹木被害を食い止めよう! | 渋川 ...

此れは横浜の果樹梨の木を食い荒らす「クビアカツヤカミキリ」の成虫です

「クビアカツヤカミキリ」の幼虫が街路樹の瑞を食い荒らします

特定外来種「クビアカツヤカミキリ」は食う木を選びません。日本の街路樹は防御方法も知らないし、天敵も不在です。現在の処早期に食害が発生した事を確認して糞が出て来ている穴から殺虫剤を噴霧するのが最良な対策で食害に遭遇した木は早期に伐採して焼却処分する他無い様です。三渓園の桜も戸塚の柏尾川堤防の桜も多く伐採されてきています。     【了】