昨日(3月1日)は驚くほど暖かい一日で我が家の冬至梅も散り始め、反対に「豊後梅」の蕾が膨らみ始めました。此れからは日一日、一雨毎に春が近づいて来ます。冬眠中の蛙ならずとも嬉しいい季節です。今年は閏年ですから、節分は2月3日で立春は2月4日になります。ユーミンの名曲「春よ来い」を聴きたくなります。春よ来いが毎日のようにラジオで流れたのは東日本大震災が起きたのは2011年3月11日でしたから、あの大災害から今年は30年も経つのです、処が正月元旦に能登地震が発生しました。私が友人と能登の晩秋を愉しんだのは10年ほど昔でした。あの日訪問した白米千枚田もキリコ会館も総持寺祖院も宿泊した漁師民宿も倒壊してしまった様です。またも名曲「春よ来い」が待たれる状況です。「禍福は糾える縄の如し」は漢書の「史記」に出典した諺ですが日本人の愛語です。屹度稲わらで縄を編んで草履や縄を編んで良く観察してきた事と「災害」と「幸運」は交互して遣って来る体験が根本にあったのでしょう。能登の住人の震災後の対応を観ているとしなやかに復興を志しているようです。漁業や輪島塗の伝統産業を捨てずに再興の意欲が旺盛の様です。

縄文土器の縄目は単なるデザインではなく魔除けの呪術だったのでしょう。

横綱輪島の土俵入り綱も化粧まわしも呪術なのでしょう。

昭和39年日本は木材の自由化を実施しまし(探検部))はローカル地をバス旅行をするのが趣味で農村をバス旅行していました。木材自由化は「山村を捨てて」都会の工業を育成する」施策でしたが、安易で欲望にまみれた施策は山村を壊滅させ廃村にしてしまいました。美しい山村を失ったばかりか、土石流が発生し、先祖が営々として開拓してきた傾斜地の畑は山林に戻って野生動物が麓の生活を脅かしています。

今。昭和を思い返すと昭和39年の自由化が境目(節分)だった様に思えます。当時自由化は世界の気運でGMを初め世界のビッグ企業が日本に進出してくるので日本中が競争力アップに努めていました。自動車産業育成の為には山村を見捨てて山村の若者を都会に移住させ工場勤務させたのでした。

四国吉野川の源流の三好市大歩危の辺りの山村針業の消滅と共に廃村になってしまいました。

天空の村・かかしの里|スポット・体験|四国のおすすめ観光 ...

大歩危に近い天空の村には案山子が残っていて山村の生活を伝えています

大歩危では廃村を逆手にとって「妖怪村」として売り出しています。此れは道の駅で客引きをしている「子啼き爺」です

節分とは具体的に何をする日だったのでしょうか?一般的には「邪気を払い、無病息災を願う行事」と云われています。古代から「季節の変わり目は邪気が入りやすい」と考えられ、また「この時期(2月上旬)はまだ寒く体調を崩しやすい」ことから新年を迎えるにあたって、邪気を祓い清め、一年間の無病息災祈る行事として宮中では追儺(ついな)という行事が行われてきました。

宮中の追儺行事が民間にも広がって、「豆まき」行事等になったのでしょう。

此れが宮廷で始まった「追儺祭」です

                  豆まき行事は宮中の追儺式がルーツです。 
「豆まき」は元々の発祥は中国だが、大陸文化が広く取り入れられた平安時代、大晦日に宮中行事として追儺が行われるようになったと言われている。これは疫鬼などを追い払うもので、大晦日に陰陽師がきて厄や災難を祓い清める儀式でした。屹度陰陽師「安倍清明」が活躍したのでしょう。

         NHK大河ドラマ「光の君へ」では安倍清明をユースケ・サンタマリアが演じていました。 
古くは「続日本書紀」のなかに、疫鬼払いとしての記述が見られる。宮中行事としての追儺は徐々に衰退し、江戸時代には行われなくなったという。しかし、いつの頃からか、追儺は豆をまいて鬼を払い無病息災を願う「節分」という行事として庶民の間に広まり、定着したのでしょう。

私が大阪に転勤したのは日航機が墜落した1985年でした。阪神タイガースが優勝して狂喜したファンが道頓堀にダイブして批難されていました。その年の翌春の節分で「恵方巻」を知りました。東京では節分の食べ物と云えば「温かいけんちん汁」に「鰯の丸干し」に「歳の数だけ焼き大豆を食べる」等でどれも寒い冬で落ちた体力を回復させる効果がありそうでした。処が「恵方巻」と云って海苔巻きを一本丸ごと恵方を向いて食べるのは根拠を見出すのに困難でした。唯関東と関西では慣習が違うと思いました。我が家は家族5人ですから恵方巻は5本必要です。関西海苔組合が結託して海苔の需要喚起策か?と思いました。でも大阪人に聞くとそれらしい解説があって、恵方とは、その年の福徳を司る歳徳神(歳神)その方角に向かって事を行えば何事も吉とされてるのだそうです。恵方に向かって恵方巻を食べれば歳神が体内に入って一年間健康で福運に恵まれて過ごせるのだそうです。因みに2024年節分の恵方は東北東だそうです。関東では「鬼は外、福は内」と叫んで「豆まき」をしますが、地方によっては「鬼は内、福は外」と叫ぶのだそうです。
           両丹日日新聞:「鬼は内、福は外」の大原神社 節分を前に鬼役が ...

京都府福知山市にある「大原神社」の節分祭では「鬼は内福は外」と逆パターンで叫ぶそうです

また三重県伊勢市では中世に「九鬼氏」が治めていたので領主に気配りして逆パターンの「鬼は内福は外と叫んでいるそうです。

屹度関西人は東京では「柊に鰯の頭」を玄関に飾ると聞きて驚くことでしょう。

節分にイワシの頭を飾るのはなぜ?意味やオススメの食べ方をご ...

    関東では節分の際して玄関に「柊+鰯の頭」を飾って鬼が家に入らない様に呪いをします

関東人は「柊は、棘の痛さで鬼を追い払うため、いわしの頭はその臭気で鬼を寄せ付けないようにするため」答えますがそんなに弱い鬼なら怖い事ない主張するでしょう。「鰯の頭も信心次第!」云われれば返す言葉も在りません。でも節分の頃は最も体も気も引き締まって体調も良く春に向かって楽しい季節です。明日は愈々節分妻と相談して弘明寺観音の追儺祭に出かける予定です。      【了】