私は毎週水曜日の午後1時半から3時まで近くの「元気ジム」に行ってリハビリ運動に勤しんでいます。昨日もリハビリトレーニングして汗をかきました。トレーニングの中核は「レッドコーブ」と云った天井から吊り下げられたロープを掴んで普段余り使わない筋肉を動かすエクササイズで聴けばスウェーデンで開発された高齢者向け筋トレだそうです。男女の構成比は7割がお婆ちゃんで残りはお爺さんです。感心するのはお婆ちゃんで酸素ボンベを転がしながら筋トレに励んでいます。、屹度自宅に帰ると寝たきりのお爺さんが居て「自分は絶対生涯健康でいる!」覚悟の表れでしょう。昨日も隣に酸素ボンベを転がしてレッドコーブを掴んでトレーニングされていました。私もレッドコーブを掴んでふと窓の外を見ると枯れた芭蕉が見えまあした。3箇月前は破れ芭蕉だったものが今では枯れ芭蕉で木枯らしでカサカサ音を立てて居そうです。

此れは藤沢の弥勒寺の境内に自生している芭蕉です。野分が吹くと大きな葉っぱが破れて野分を受けて流します。

破れた芭蕉は「破芭蕉」と呼び秋の季語です。「枯れた芭蕉」は「枯芭蕉」と呼び冬の季語です。葉の枯れた芭蕉で。風雨にさらされてずたずたになった芭蕉は、そのまま朽ち果て、襤褸をまとった居士林の様です。明治の俳人種田山頭火を彷彿しました。

枯芭蕉は居士林種田山頭火を彷彿させます

松尾芭蕉の名(俳号)で何度も名を変えます。最初は「宗房(そうぼう)」でした。これは彼の名前が宗房(むねふさ)であったことが由来です20代を京で過ごし、29歳で江戸に移った後、30歳を過ぎて、憧れていた中国の李白になぞらえて「桃青(とうせい)」と号しました。「桃青」は「李白」を意識した俳号でしたが、37歳で深川に転居します、江戸の門人は庵の庭に芭蕉を植えた処気にいって俳号を「芭蕉」に変えました。芭蕉が気に入った理由の第一は芭蕉が多年生草木でありながら四季に応じて劇的に姿を変えてそれも理に適って生命力を保っているからでしょう。深川芭蕉庵の庭には今も芭蕉が自生していますし、芭蕉の墓がある大津の義仲寺の庭にも芭蕉が茂っています。

琵琶湖畔にある義仲寺には芭蕉の墓があって芭蕉も茂っています

私の住んでいる横浜の戸塚の上倉田町は江戸時代蕉風俳句が盛んでした、中心になったのは倉田寺で、その墓地を歩くと蕉風俳句の熱気が残っています。屹度句会が終われば酒を飲んで美食も堪能したのでしょう。酒屋が家業であった鈴木家の墓地は酒樽を模した墓標石が建っています。

酒仙人のお墓(智蔵寺行人墓) - 雀のお宿

蔵田寺の墓標石には酒樽もあります

そんな次第ですから倉田町の旧家は庭に芭蕉を植えている家が多いのです。私の生家にも庭には芭蕉が自生していました。芭蕉は一見するとバナナに似ています。でも熱帯の植物であるバナナは耐寒性に乏しいので日本では生育しません。他方「ジャパニーズバナナ」と呼ばれる芭蕉は耐寒性に富んだ植物です。芭蕉の仲間である糸芭蕉は「琉球芭蕉」で繊維を使って芭蕉布になります。

此れは沖縄の芭蕉布です

枯れ芭蕉が目を引く季節ですが、枯れ蓮にも惹かれます。蓮も繊維を素材にして布やカーペットを作ります。奈良の当麻寺の中将姫の伝説の曼陀羅は蓮の糸を紡いで中将姫が織ったと言い伝えられています。

当麻寺奥の院の当麻曼荼羅は中将姫が極楽往生を祈願して蓮糸を紡いで作ったとの伝説があります

                                   【了】