昨日は横浜駅東口にある「そごう美術館」に「水木しげる妖怪展」を観て帰りました。今日はその紹介と現在的意味をアップします。水木しげるについては生家のあった境港市に行きましたがコロナ禍でもあったので、妖怪施設は閉店していて、それこそ寂しいものでした。昨春は鳥取県の智頭町の廃村も旅しました。智頭町は「日本で一番美しい村」としても有名ですが、美しい反面が経済的に自立出来ない事でもあって、廃村として朽ち果てようとしていました。壁が崩れ大棟が折れて天井が落ちて行く屋敷を観ていると、背筋に冷たいモノが走りました。私は人一番霊感があるのです。でも私には強力な祖霊がついて守護してくれているので躊躇しません。屋敷霊に敬意を払いながら神棚や仏壇を観て回りました。

鳥取県智頭町板井原の集落「日本で一番美しい村」連合の代表屋敷も閑散としていました。

そごう美術館が水木しげる展を開催したのは水木しげる氏の生誕百年記念であった事と妖怪ブームである事が影響しているのでしょう。会場に入ると水木しげるの妖怪追及の原点の幼児体験(近所に住んでいたノンノ婆さんが妖怪の話を聞かせてくれた」事と戦争体験(ニューギニアに送り込まれ人間の生死を真の辺りに観た)が影響していました。何にもまして大事な事は「文字や言葉で聴いた妖怪を想像して伝統を踏まえた画像に落とし替えた」事でしょう。葛飾北斎や中世の百鬼夜行図を参考に文字や言葉にしか残っていない妖怪を絵に替えて見せたのでした。

そごう美術館の水木しげる妖怪展の会場看板

水木しげる妖怪展の案内絵

「水木しげる妖怪展」はそごう美術館の前には六本木で開催され好評であった余韻もあってか土曜日の会場は親子連れも多く賑わっていました。子供達は総じて妖怪に詳しく私が絵の下に小さな字で書かれた名前や説明を読もうとしていると子供が「赤舌」だとか言ってくれました。子供達には人間の味方「鬼太郎」よりも妖怪の方が人気の様でした

会場の最期の処が撮影可になっていました。これは「妖怪ぬり壁」の前で驚いてみせる少女です。

此れは「大かむろ」です

此れは「こなき爺」です

こなき爺は徳島県三好市「山城町」の妖怪として著名です。名勝「大歩危小歩危」のある観光地も廃村の危機にある様で、鳥取の境港同様に妖怪で「町おこし」を狙っているようです。吉野川の水源地も千代川の水源地(智頭町)同様に街起こしを観光に期待しているのでしょう。

吉野川の上流大歩危んのある山城町は妖怪「こなき爺」を使って街起こしを狙っています。

吉野川の上流大歩危んのある山城町の妖怪「川みさき」も妖怪です、このほか大蛇もいるようです。

妖怪は民族学者「柳田国男」に言わせれば「祖霊」なのでしょう。祖霊は死んだ人の魂が生前の特徴を残しながら生きた土地や家から離れられなくて埴生の里に漂流しているのですが、死後に追悼する事で時間と共に生前の特徴が消えて祖霊に変じると同時に子孫の守護霊に変わるものです。柳田国男は遠野の座敷童を遠野物語に記録しましたが、水木しげるは絵にしてみせました

水木しげるの描いた座敷童

水木しげる氏は熊本県八代海で「アマビエ」を採集してローレライの様な人魚(善神)に描いてみせました。でもその海で水俣病が発生しました。若しも水木しげる氏が水俣病を知っていたら海坊主を描いただけでアマビエは描かなかった事でしょう。

水木しげる氏は八代海でアマビエを採集してローレライの様な善神に描いてみせました。コロナ禍では脚光を浴びました

でも同じ八代海では漁師をナンパさせる「海坊主」を採集して描いて見せました

人間は埴生の里を捨てる事は出来ません。だから死んでも生まれ育った里を離れられません。そんな霊が善神(守護霊)になれるか疫病神(地縛霊)になるかは人が生まれ育った里を如何に処するかで決まります。粗末にして安易に離村すれば地縛霊が悪さをしますし、大事に処すれば守護霊になるのでしょう。水木しげる氏がノンノ婆さんを敬愛して戦地で無為に亡くなった戦友を篤く弔えば守護霊になるのでしょう。祖霊の為にも自分自身の為にも未来に生れる子孫の為にも守護霊になって貰いたいモノです。

           【了】