1月16日(火)鎌倉の高田脳神経外科病院で血液検査の結果を聴き「服薬を減らす」どころか、カリウム値もヘモグロビン値も悪化していました。明日からは素直に高田脳神経外科医師の指示通リに服薬する事にする他在りません。私の胃袋は懸命に「ボグリボース錠は飲むな!」訴えていますが、当分は3回/1日服薬しながら、胃袋の声を聴く事にしました。ランチの時間迄は時間もあります。妻と相談して、今年は未だ見ていない蠟梅の花を観に北鎌倉に行く事にしました。北鎌倉には蝋梅の花の名所が並んでいます。東慶寺にお隣の浄智寺に明月院にも蝋梅の花が自生しています。色々思いめぐらした結果円覚寺に登る事に決めました。前回昨年の9月に「金木犀の花」を探しに円覚寺に登って「仏日庵」や「黄梅院」で金木犀を探したのですが、全く咲いていませんでした。お寺で聴けば「この夏は中々暑さが引けないので開花が遅れている」との事でした。蝋梅は春の先駆けです。シッカリ咲いて居れば桜も桃も例年通リ咲く事でしょう。朝10時の円覚寺の境内は寒風が吹いていました。自由研究の女学生が山門の下で佇んでいます。

漱石三部作の「門」の舞台になった円覚寺山門。夏は緑陰を提供してくれる門ですが冬は吹き曝しで北風が抜けてゆきます。

手前の石段から吹き上げる風が冷たいのです。

北風が吹いてスカートを吹き抜けると寒さが応えるのでしょう。更に登れば方丈庭園の池の表は氷が張って光っています。妙香池も凍っています。此れでは翡翠も困ってしまうでしょう。

円覚寺の妙香池も水面は凍っていました。翡翠も魚を食べられないので困っている事でしょう。

ロウバイの花被片は少し透明で、蝋細工のような感じです。それで「蝋梅」の名がついたのでしょう。でも、蝋梅から、蝋燭は出来ません。蝋燭の素材は「櫨の樹脂」です。奈良公園は秋になると「南京ハゼ」が見事に紅葉しまあす。中国人は仏殿で使用する蝋燭を南京ハゼの樹脂を採取して作っていたのでしょう。日本では櫨の樹脂を採取して蝋燭を作っています。

奈良新薬師寺の薬師如来に灯された和蝋燭、蝋燭の炎を観ていると命の輝きを想います

落語の死神は子の蝋燭の炎を息で吹き消してしまうお話です。

円覚寺の仏殿を越して更に登ります。方丈庭園にも妙香池の周囲にも蠟梅は在りませんでした、でも白梅は既に7部咲きです。

円覚寺仏殿と居士林との間に咲き出したは白梅

居士林の境内は現在大改造中です。漱石や芥川龍之介が通った座禅道場(一般人向け)は改造して、円覚寺の境内を見下ろす位置に修行道場を新築するのでしょうか?居士林の奥高い位置にある塔頭が仏日庵です。円覚寺の開基北条時宗を祀った寺です。仏日庵の茶室入口に蝋梅が自生しています。昔日この茶室の作者を確認した処川端康成氏が激賞した茶室との事でした。茶室の躙り口の脇に一本の蝋梅が自生しているのです。腰を屈めて茶室に出入りする度に蝋梅の木がが鼻先を掠める位置にあります。

円覚寺の開基北条時宗を祀っている塔頭寺院の「仏日庵」

「仏日庵」の境内にある茶室「烟足軒/えんそくけん」は川端康成の『千羽鶴』や立原正秋の『やぶつばき』などの小説に登場します躙り口に一本蝋梅が咲いていました。

円覚寺の最深部にある塔頭が「黄梅院」です。黄梅院」は北条時宗の夫人「覚山尼」が創建し、祀られている塔頭です。近時お墓の分譲に熱心で墓地居る入口に設えられた手水鉢の水も凍っていました。よく見れば侘助(椿)が手水鉢毎凍っていました。墓地前には蝋梅が咲き誇っていました。

「黄梅院」の墓地入口の手水鉢は侘助椿ごと凍り付いていました。

「黄梅院」の境内で墓地入り口に咲いた蝋梅

黄梅院の垣根はシンプルな四ツ目垣でお茶の木が垣根に使われています。屹度茶も塔頭で製造して参詣者に振る舞ってきたのでしょう。その垣根に美男カズラ(さね葛)が絡まっています。和菓子の「鹿の子饅頭」の様な形の可愛い赤い実が生るのですが。既に大半を野鳥に摘まれてしまい不格好な実だけが遺されていました。野鳥の命を繋いでいるのです。

上生菓子 鹿の子

此れが「鹿の子饅頭」です。餡子を芯にして大納言アズキを周囲に飾ってまるで「逢坂山のさね葛」です。

此れが黄梅院の四ツ目垣に絡んださね葛です。既に美しい大納言は食べられて芯だけが遺されていました。

冬は寒むくて自然です。寒いので体は鍛えられます。円覚寺の杉や柏槙/ビャクシンが年輪を刻む様に冬の寒さに鍛えられて温暖な春を迎えて成長する様に命が脈動するのでしょう。

円覚寺の仏殿前の柏槙は北側は健康ですが南側は腐食が進行して外科手術で経過観察中です。

円覚寺に登って植物に教えられながら、季節の変遷に身を置き楽しく過ごしたいモノです。当面は高田医師の言われる通リに苦手のボグリボースも飲んで胃袋と相談しながら様子見をしましょう。       【了】