私は生家(曹洞宗の盛徳寺)では門松を立てる事を役割にされていました。正月を迎えるに際して人手が無いので家族で役割を分担します。同時に縁起を担いで日程を決めます。大掃除は歳末の土日にして家族全員で畳を上げて天日干しして青竹でバンバン叩きます。餅つきは12月28日に実施しました。音頭取りは母で物置から臼を出してもち米を蒸篭蒸する為の竈を組みます。薪は大掃除で出て来た廃材やお墓から撤収してきた古塔婆を燃やしました。12月28日に餅つきをするのは第一に鏡餅を作る事が目的でした。鏡餅は年神の依り代ですから、早すぎてもいけないし、12月29日以降では縁起が悪いのです。29日では二重苦になるし30日、31日では一日,一夜しか時間が無いので年神様を粗末にしている事になります。

私が新年を迎えるに際して門松を立てる役割を分担させられたのは、木登りが得意なので裏山に行って黒松の枝を伐って来易い事だったのでしょう。竹も裏山の竹を伐採して来ました。門松は日本だけの慣習かと思っていたら、家の近くの韓国焼肉さんの店先にも門松の位置に真木だか榊の植木鉢を置いていました。日本の門松もルーツは中国で唐代に家の門に松を飾る習慣が平安時代に宮中に伝来したのだそうです。日本では根付の若松を使って青竹と揃えて飾って年神様の依り代にしたのだそうです。ですから門松の伝統的様式は道祖神祭り(ドント焼き、左義長)の御仮屋を飾る門松の様な形だったのでしょう。

大磯左義長(重文)の御仮屋を飾る門松は「竹+松の枝」を組み合わせた素朴な形です

私達が見慣れている門松は江戸時代に出来た形式でしょう。

毎日の様に買い物に行くスーパーのアピタの入口にも28日には立派な門松が飾られていました。流石に名古屋発祥の企業です。門松は新年にやってくる年神様が家に降りてくる際に、門松を目印にしていると信じられているのです。

12月28日に門松を立てました

西(左)側の門松

玄関ドアのお飾り(壷阪寺/うさぎ年)は撤去しました。

兎に代わって辰のお飾りにしました。

年神様とは、その年の福をつかさどる歳徳神や五穀豊穣をつかさどる穀物の神が1つにまとまった神様のことです。農家には「穀物神」であり一般には「福の神」であります。稲と同じ様に一年毎に入れ替わりまあすので毎年新しいパワーのある年神様を迎えたいのです。私の様な年金生活の老人にとっては「家族の健康長寿」や「子孫の隆盛」が主たる願事ですからその願事を形にした「海老」や「鶴亀」や「橙」を門松に添えたりします。そんな庶民の願いに応じてくれる年神様がお好きで眷属の生物を添えるのです。私には門松飾りを29日にした苦い体験が在ります。12月31日に飾れば「一夜飾り」12月30日んさらば「一日飾り」なので年神様を粗末にしている事になると思って2013年12月29日に門松を立てて翌日12月30日に友人とマージャン荘で卓を囲みました。マージャン荘H差暖房が効いていました。ゲームを始めて1時間余りで脳梗塞を発症してしまったのです。ですから今朝は脳梗塞の10年忌になります。苦い体験を想い起こすと12月29日の門松は二重苦を招きます。”来る年を良くしたい”願うのは世界中の民族に共通しています。イタリア人は赤いパンツを履くそうです。スイスやドイツや北欧の民俗は豪快に花火を発射して厄払いして新年を祝います横浜中華街では来年こそ盛大に春節をお祝いする事でしょう。

来年は辰年ですから万燈の龍も盛大になるかもしれません。

来年は辰年ですから新しい龍も出来て龍舞を被露視てくれるかもしれません

                        【了】