10月15日私達は鶴岡市櫛引町の柏戸記念館で食事も終えて山形市に向かいました。当初の私の計画では寒河江市の山側にある山之辺町大蕨の棚田風景を観る計画でしたが、今晩の宿は蔵王温泉のスキーペンションなので先を急ぐ必要があったのです。スキーペンションはB&B方式なので夕食はありません山形市内で夕食を買い込んでペンションで食事する必要があります。山形市内では見学したい施設が沢山在りましたが全員が観たい「縄文ビーナス/国宝」を展示してある「山形県立博物館」を見学する事にしました。「縄文ビーナス/国宝」は山形県舟形町西ノ前遺跡の出土品で、縄文時代の土偶造形の一つの到達点を示す優品として代表的な資料であり、学術的価値が極めて高いとされる。国宝に指定されている土偶としては全国で4件目でした。「山形県立博物館」は霞城【最上氏の居城】の城内にありまあした。武道館や博物館や美術館が集積した山形県の「文化・運動・後楽」の集合施設になっています。既に桜紅葉でしたがお花見の季節には賑わう事でしょう。

霞城公園の桜(花筏) | 山形市 | ヤマガタイメージズ - 山形を ...

山形市の中央部にある霞城公園は最上氏の居城を都市公園として文化・運動施設を集積させています。写真は観光協会

山形県立博物館の入口には目玉の縄文ビーナスの模刻木造像が置かれていて館内に入ると巨大な骨格が展示されていました

山形県立博物館の建物昭和50年代に流行った鉄筋コンクリート打ち出しの建物で入口に恐竜の骨格模造が展示されていました。

博物館第一室の展示はジュラ期の恐竜骨格でした。これは山形大海牛(ヤマガタダイカイギュウ)

で海に棲んでいたジュゴンの様な動物でした。

山形県の地質を説明し最初に海を次に山林に生きる生物を説明してありました。石器時代から縄文時代に順次展示して行き期待の縄文ビーナス(国宝)は略中央の第三室特別コーナーに展示して在りました。嬉しい事にガラスケースに入っていて360度好きなアングルで鑑賞が出来てスマートフォンなら撮影が許可されていました。

国宝の縄文ビーナス縄文時代後期で国宝土偶では最大です。

像は中空(阿修羅像と同じ)で。お尻を突き出してバランスしていました。

ガラスケースに入っているので360度の方角から観る事が出来ました。

博物館ですから農業漁業を生業とした人々を多方面から展示説明していました。

農家の民俗展示コーナー

此処迄は象潟郷土館も同じで土地の地質時代を展示して主として江戸時代の農家漁師の生活と民具を展示して説明していました。私が特に感心したのは「特別展」として「山形の女学生の制服の変遷」を展示していました。明治維新の戊辰戦争では最上も庄内(酒井家)も佐幕で勤皇軍と戦いました。けれども明治時代に入ると藩主が率先して開明派に転じて県令「三島通陽」を筆頭にして洋風文化の導入に積極的でした。鶴岡市の致道博物館の疑似洋風建築も山形市の旧済生館本館(元病院)も山形が開明的であった現れでしょう。

此れは山形市にある「疑似洋風建築」の「旧済生館本館」建物

「特別展」山形の女学生の制服の変遷」は山形市内の女学校の制服の変遷を展示して在りまあした。女学生は何時の時代も同じ「制服に憧れと誇りをもっているものです。

山形県立博物館の企画展(セーラー服)の展示撮影会のポスター

山形県立博物館の「女子制服図鑑」

屹度山形市内の名門高校なのでしょう東西南北+中央の5つの高校の制服

大正時代は袴姿でした。

戦中の女学生

女子教育は時代の先駆けでしょう。山形市内の女子の制服も明治以降変遷が在ったのでしょうが、女学生が制服に憧れを持ち誇りを持っていた居た事は良い事でしょう。かくいう私は未だにセーラー服フェチです。       【了】