今日(9月26日)は彼岸の明けです。遅れていた彼岸花もようやく間に合った様です。彼岸が明ければ金木犀も咲き出す事でしょう。昨日(25日)は快晴の月曜日でした。家を出る時は久々の東慶寺に行って秋花を観ようと思っていたのでしたが、北鎌倉駅を降りると人波に引かれて円覚寺の山門を潜って居ました。植木職人が石段脇の白樫の生垣を伐採、手入れをしています。広い境内は来春の準備に入って居るのです。円覚寺の境内にも彼岸花は多く自生しています。最初に訪れたのは桂昌院焔魔堂の弓道場に咲く彼岸花です。東慶寺の前住職井上禅定氏の著書「駆け込み寺」には江戸の町から離縁状を貰えなかった女性が離縁判決を求めて東慶寺の判決を求めて鎌倉東慶寺に駆け込んだ経緯が興味深く詳述されています。戸塚宿で東海道から三浦道に入り大船の「離れ山地蔵尊」の前を左折(東)して十王橋(小袋川)を渡れば円覚寺焔魔堂でその向かいが東慶寺で東慶寺の門内に草履を投げ込めば追っ手から逃げられる、記されていました。その焔魔堂は塔頭桂昌院の主尊を祀ったお堂で縁側が射場で矢道(中庭)を挟んで向かいにある的を設置した的場になっています。私の妻がお稽古に励んでいる戸塚弓道場は雨水調整池が射場で降雨があれば矢道が水溜まりになって射場と的が矢道を挟んで東西に位置しています。味気ない射場です。それに比べれば円覚寺や鶴岡八幡宮の弓道場は自然に囲まれた美しい弓道場です。

円覚寺の「焔魔堂弓道場」向いが的で矢道を挟んで手前の縁側が射場になります、此処に彼岸花が自生しているのです。

円覚寺焔魔堂弓道場の矢道に自生している彼岸花

此れが円覚寺桂昌院の本尊閻魔象です。

此れは山梨の放光寺 愛染明王坐像(天弓愛染)(平安時代)像高89.4cm 国重文です

弓は千手観音の持物にも良く出て来ますが上の天弓愛染明王の弓も和弓ではなくて蒙古襲来絵詞にも出て来る洋弓です中近東以西の弓は文字と同じで横にして使います。一方日本やブータンインドの弓は縦に使います。洋弓は迅速性に優れていますが破壊力では和弓等の縦型が優れています。日本化した仏像が西洋の弓を持物にして和弓に代えなk去ったのは不思議です。骨折入院している妻に訊きました。彼岸花に見とれて的でなく彼岸花を射ってしまう人はいないかしら?妻は一笑に付しました「幾ら集中力を欠いても花を射る人は居ませんよ。円覚寺では方丈でNHKが「大奥」の撮影をしていました。月曜日の朝は静かなので観光客もテレビ撮影も狙い目なのでしょう。

方丈を過ぎて「仏日庵/北条時宗墓所」の茶室前には白い彼岸花が咲いていました。

仏日庵茶室前の白い彼岸花

円覚寺桂昌院の弓道場には今年白い彼岸花も咲いていました。

人間の欲望は限りが無く赤い彼岸花を観れば白い彼岸花を観たいと思い更に最近はピンクやオレンジ色の彼岸花も作りました。天弓の矢も何処に向かうのか訳が分かりません。        【了】