加曾利貝塚を満喫して、千葉市内に戻りました。ランチを終えて午後は千葉市内を巡ります。最初の目的地は「千葉寺」です。妻は歴史辞典を観て「せんようじ」と呼んでいます。

千葉寺の山門

山門の彫刻神仏習合寺院です
山門の阿形の仁王像

京成電鉄は千葉中央駅の東隣駅が「千葉寺」で駅のアナウンスは「ちばでら」と云っています。「せんようじ」「ちばでら」どちらでも良いのですが、念のため寺で確認すると訓読みで「せんようじ」でした。千葉寺」駅からせんようじ迄徒歩10分を要しました。中々風格のある真言宗の古刹で会期は行基菩薩でした。千葉寺は市内最古の寺院・千葉寺の案内板には”和銅2年(709)に創建されました。その翌年に植えられた境内のイチョウは、鎌倉・鶴岡八幡宮の銀杏よりも大きく、高さ約30メートル、目通り幹囲は8メートルもあります”としるされていまいた。鶴岡八幡宮の銀杏が倒壊してまった今では千葉寺を象徴する大銀杏関東地方最古最大の古木と云う事でしょう。

此れが和同3年(710年創建時に植えられた大銀杏です。

千葉寺大銀杏のたれ乳

「千葉寺」の大銀杏には幾つもの垂乳が付いて居ます。案内板には「この銀杏の枝や皮を煎じて飲むと母乳の出が良くなると信仰されている」書かれてました。大木には「瘤」が良く出来ます。桜や楡の木に瘤が出来ると樹勢が衰えて花付きが悪くなったり枯れたりします。瘤の原因が細菌のでしょう。瘤取り爺さんの瘤も病気(粉瘤)でしょう。粉瘤ができる理由は、毛穴がふさがり、毛の通り道が「袋」のように腫れてくることによります。この「袋」の中には、皮脂(ひし)や角化(かっか)した表皮細胞が沢山詰まっています。このようにして粉瘤は作られ大きくるのです。
この粉瘤、放置しておいても差し支えないことが多いのですが、時に細菌感染を起こし、腫れあがり、激しい痛みを伴うことがあります。そうなると、常に膿を出し続けることもしばしばで、治り難くなります。ですから、治療は炎症を起こす前に、原因となる「袋」を切って取ってしまうのが一番だそうです。

瘤取り爺さんの瘤は粉瘤と呼ぶ皮膚病です。

銀杏のたれ乳を乳房に見立てるは自然です。若木には出来ません、老木になると雌雄どちらにも垂乳は出来ます。藤沢の遊行寺の大銀杏は雄木ですが立派な垂乳ができています。

藤沢の遊行寺の大銀杏は雄木なので実はなりません

その乳の正体ですが、まだ意見が分かれているのが正直なところです。イチョウは裸子植物です、古い時代の植物の特性を未だ残しているのです。裸子植物から進化した「被子植物」は「茎」と「根」が分化しています。銀杏は多分分化されていないので、茎(幹)の一部が大地に向かって気根のように垂れたのでしょう。津軽の北金ヶ沢の大銀杏は垂乳が地上に達して気根状態になって居ます。垂乳が大木の添木になっています。

北金ヶ沢の大銀杏は垂乳が地上に達して巨大な幹を支えています。

小葉シダ類がもつ特異な器官でで「担根体」がります。担根体とは、根でも枝葉でもない構造で、イワヒバのような。この担根体は、場合に応じて先端が根に変じたり、枝葉に変じたりするのが特徴です。川崎民家園のかやぶき屋根の「柴棟」にはイワヒバが活用されてます。原始的な裸子植物の強い生命力が屋根のてっぺんの逆境でも生きてゆけるのです。

これは裸子植物の「いわひば」です

川崎民家園の柴棟茅葺き屋根の大棟にイワヒバを植え付けて民家を堅固にしています。

 

被子植物は根の先からは根のみが、枝の先端からは枝のみがでるのが基本です、根から枝、あるいは枝から根が出る場合には、その先端ではなく途中からできるのが原則です。ところが担根体は融通が利き、その先端を枝にしたり根にしたりすることができるのです。イチョウの乳は、よく見ると根を生やすこともあれば、枝に変化することもあります。そのため、担根体の名残とかんげっれます。その結果強靭な生命力を有しているのです。銀杏の実が滋養豊かな様にその枝や皮を煎じて飲めば乳が出るという信仰は大銀杏の生命力にあやかりたいとする自然な伝説でしょう。        【了】