昨年来、畑を借りて野菜作りを楽しんでいます。今年は2年目ですから、経験を活かして私なりに計画性を持って栽培しています。昨年夏にジャガイモを孫と収穫しました。

ジャガイモの後には大根や春菊を撒きました。大根も春菊も今年の冬を通して鍋物に使いました。その春菊も花芽が伸び葉も筋が立ってきました。其処で春菊を撤去して「枝豆」「胡瓜」「オクラ」を撒く事にしました。ワイフは春菊を根こそぎ抜いて持ち帰って、プランターに移植しました。プランターに移された春菊は毎日水遣りをして貰って居る為でしょう、柔らかさが戻って来ました。お陰で毎日のように「胡麻和え」に「おしたし」に天婦羅様々に料理されて食卓に上ります。私は青虫になった気分です。

畑の春菊4月も末になると花が咲き出し。固くなって来ました。

八百屋の店先には「食用菊」が並んでいました。其処でプランターで咲いている春菊の花を食べてみよう思いつきました。春菊が美味しいのだから春菊の花も食べられるはずだ屹度春菊の味がするのだろう!予測しましたが、思いついたら実行するのが私のスタイルです。先ずは茹でて「おしたし」にして貰いました。庭に咲いている「デージア」も「都忘れ」も土手で咲いている「春ジオンも同じキク科の植物です。どんな味がするのか試してみる事にしました。

畑で根から抜かれた春菊はプランターに移されワイフが毎朝水遣りしている中に柔らかくなり出しました。

八百屋の棚には沖縄産の食用菊が売られていました。

庭の咲いているデージーの花、これも菊科植物です。

此方は庭に咲いた「都忘れ」の花、これも菊科植物です。

これは庭に咲いてしまった「春ジオン」の花此れは雑草ですが矢張りキク科植物です。

茹でる前の「春菊」「デージー」「春ジオン」の花

ワイフは私の指示通リ「春菊」「デージー」「春シオン」の花を茹でて夕餉の食卓に出してくれました。今晩のメインは「鰯の煮つけ」ですから「春菊の花のおしたし」と相性も良さそうです。単純の事です。春菊の花は春菊の香りがして味も変わりありません。デモ花弁は春菊の葉と同じでも葯(花の中央で雄花雌花が集中している場所)は違いました。凄く香っていると云うか「苦味」が強いのです。考えれば当然です。「葯」は子孫を残すパーツでDNA(蛋白質)の集積です。苦いのはDNAを食べるからです。花弁は葉っぱと変わらないのは当然です。蜜蜂は花から花に飛び回って花蜜を集めて蜂蜜を溜めます。密蜜は働き蜂を育て自分も冬越しする為の貯蓄であって、花粉(主成分蛋白質)は女王蜂を育てる栄養分です。肝心な部分の味は苦いのです。

デージーも春菊も花は苦かったのですが「春ジオン」の苦みは数段強いモノがありました。私が子供の頃境内に「春シオン」が咲くと祖母は嫌がりました。「春シオンは貧乏草」だから庭に咲くと家が廃れる」と云うのです。確かに廃屋の庭や屋根には春シオンの花が咲いています。生命力が旺盛で荒れ地でも乾燥地でも綿毛で飛んで繁殖するのが春ジオンの特徴です。人間が屋敷の手入れを怠ると春ジオンに屋敷が占領されてしまうので「貧乏草」と呼ばれるのでしょう。決して春ジオンが貧乏を運んで来るのではなくて貧乏人は屋敷の草むしりをする時間も無いので貧乏人の家に春シオンが繁茂するのでしょう。今昔物語巻31-27のお話です。

川崎民家園の民家屋根の上大棟には春ジオンが咲いています。

乾燥にも荒れ地にも生育するのが春ジオンの強さです。もうじきこの大棟に「野甘草」の花が咲きます。

「仲が良く親孝行の兄弟が住んでいました。処が父が突然に死んでしまいます。兄弟は嘆き悲しみます。兄は成人すると墓参りも出来なくなってしまいます。春ジオンの花をお墓に供えて帰りました。鬼が弟の姿に感服して弟に「予知能力」を授けます。兄弟はその後も仲良く幸福に暮らします。鬼が貧乏でも真心のある兄弟に感服して応援に回った理由が「貧乏草」と呼ばれ、嫌われモノだった「春ジオン」の花を手折って墓前に奉げたからか、それとも親孝行だったからか、良くわかりませんが、春シオンは貧乏人の家に自生した「救荒植物/飢饉時にも食べられる植物」であることは間違いありません。苦いのも当然でしょう。            【了】