「どうしようか?」「踊る?」

明るく振る舞う両親との何気ない会話の裏で、胸の奥にずっと沈んでいるものがある。

この映画は“死”を描いているようでいて、本当は“生きていく”ことを描いている。


電車の鉄橋の下で、轟音にかき消されるように号泣するシーン。

あの瞬間、人はどれほど泣いても、

世界はただ、変わらず動き続けるんだと痛感する。


残された家族の悲しみ。

けれど、同時に、残されたからこそ続く日常もある。

“死んでもいつかは会える”と信じたい気持ちと、

“今、出来ることもっとあるだろ。考えろよ。”

という怒りにも似た自責の念。

その両方が、胸の中でずっとせめぎ合う。


青春に理由なんかない。

泣いて、笑って、迷惑かけて、

それでも誰かを思うからこそ、

人生は輝くのだと思わされる。


「私、時間ないんで」

この何気ないセリフに、生き急ぐ主人公の焦燥と、もう戻らない日々への祈りが詰まっている。


『ストロベリームーン』は、

嬉しくて悲しい気持ちを抱えたまま、それでも今日を生きようとする人たちの物語。

夜空に浮かぶ赤い月のように、

美しくて、少し切ない光を放ちながら。