コーチングの友人に教えてもらい、田端の小さな映画館で観てきました!



1996年生まれの宮城県石巻市出身の映画作家・佐藤そのみは、幼少期から地元を舞台にした映画を撮りたいと志し、大学で映画を学んだ。2011年3月11日に起きた東日本大震災。そこから8年後の2019年に、石巻市大川地区で大学の友人や地元の知人らの協力を得て、『春をかさねて』『あなたの瞳に話せたら』という2つの中編を撮影した。「春をかさねて」は大学を休学して撮影し、「あなたの瞳に話せたら」は卒業製作として取り組んだ。

大学休学中の自主制作とその後の卒業制作として発表されたこれらの作品は、配給・公開の予定もないまま、コロナ禍をはさんだ2022年からぽつぽつと上映会を実施。それまで被災者の一人として取材を受ける立場だった佐藤だが、「描かれるよりも、描きたかった」と自分のために撮った映画が、やがて各地で反響を呼ぶこととなった。 

 あの日、爆撃かと思うほどの揺れの後、兄や祖父母らと高台に避難した。近くの川にはがれきやヘドロが流れ着き、腐敗臭が鼻を突く。だが、みずほさんは小学校から帰ってこない。2日後に母と小学校に迎えに行くも、校舎の1キロほど手前で通行止め。普段は家や店が軒を連ねるにぎやかな通りが、全て茶色にくすんでいる。ぼうぜんと立ち尽くす中、知り合いに声を掛けられた。「妹さんが上がったよ」。母は泣き崩れ、佐藤さんも体の力が抜けた。「涙が止まらないのに感情は無」。数日後に対面したみずほさんは冷たく、顔は泥まみれだった。 「大好きな大川で映画を撮りたい」。小学生の頃からの佐藤さんの夢だった。温かい人々、自然豊かないとおしい故郷。だが「撮りたかった景色は、震災でほぼなくなってしまいました」。大切な存在や場所が失われ、悲しむ間もないほど目まぐるしく時は過ぎていく。震災から目を背けた時もあったが、地元を撮りたいという思いを消すことはできなかった。「撮らなきゃ前に進めない」。自分の気持ち、そして震災と向き合うためにカメラを手に取った。 映画には、みずほさんへの思いも込めた。震災当時、中学2年生だった佐藤さん。「妹に当たってしまうこともあり、ひどい姉だったと思う。もし会えるなら謝りたい」。そして「誰も傷つけない作品にしたかった」。みんな十分傷ついた。どちらの作品も、悲しみの中で最後に前を向く人々の姿が映し出される。「身をささげた映画です」。未曽有の災害に遭った少女と町が抱えてきたものを、全て吐き出した。


いやなんか、ものすごい映画でした!

大学生が卒業制作で撮ったとは思えません😱


フィクションとドキュメンタリーの対比


喪失感と余白


全てが当事者にしか描けないリアルさでした


ドキュメンタリーの中の台詞


「自分の想像力の無さを痛感します」


「あれが最期だとわかっていたなら」


に号泣😭😭😭


佐藤そのみ監督、次作も観に行きます!