ここ3日間ばかり頭から離れず、昨日の大学での講義でも思わず紹介してしまった話。


古典文法で、「射る」と「鋳る」はヤ行上一段活用として分類されます。文法書にも古語辞典にもそう書いてあります。


でも、このことに疑問を感じたことないですか?


上一段活用ということは、「射る(いる)」の場合、こう活用するんですよね。


い/い/いる/いる/いれ/いよ。


それはいいのですが、なぜこれが「ア行」じゃなくて、「ヤ行」なんでしょ?ア行だっていいでしょ?


たとえば「消ゆ」は、ちゃんと終止形や連体形に「ゆ」というヤ行の音が出てくるから、自信を持って「ヤ行の動詞」、ということができます。


でも「射る」の場合は「い」しか出てこないから、必ずヤ行でなければならない、ということはないんですよ。じゃ、なぜ?


これ、正解はないみたいなんですが、いちばん有力な説というのはあって・・・。


何と!


「矢(や)」を射るからヤ行、なんですって( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚


って、ダジャレですか!!!!!!


で、「射るをヤ行にしたから、鋳るもついでにヤ行でいいや」という、かる~い経緯らしいです。


オドロキですねー。文法というと、こまかいルール作りめざして、きっちり分析してるっていうイメージがありますが、案外ゆるいときがあるんですね。


何だかちょっと嬉しいデス。