朝から激しい雨。自転車配達、しかも今日は代配ありの駅~合浦公園と言うコース。梱包に時間を喰うも何とか時間内に配達を終える。帰宅するとすっかりずぶ濡れ。

午前中は仮眠。14時アウガへ。今日は超結社の勉強会、ぐる~ぷ湾の歌会。アララギの竹洞さんに誘われてのもの。

私は近詠五首を携えて初参加する。詠草は以下の通り。

殴られて血の味がする夕焼けをねぶた囃子が追い掛けてくる

「衝撃の感動秘話」はあくる日の夕飯時に忘れられている

窓の下タンポポを摘む母娘連れ開演を告げるベル一つ鳴る

スーパーの鰻の値札眺めつつ土用の丑に秋刀魚缶買う

七夕の灯籠流せば半年の雪の獄に戻り跳ねする

歌会は各自が思うまま歌を批評し、秀歌を選ぶ流れ。私はわかりやすい歌を出したつもりだったが、「私」を虚構まで拡張し途中で存在を消し去ること、さらに描写の一部を意図的に欠落させ、読者の想像に委ねる現代短歌特有の手法が難解だと言われた。

ちなみに四句目が高安国世の本歌取りと気付いた方は、ブログ読者にはいらしたか。高安の元歌は、

八百屋にも我は来慣れてためらはず嵩ありて安き間引菜を買ふ

となっている。皆さんの評価を聞くと、私の作歌意図(解釈ではなく)はかなり正確に伝わっている由。

実際メンバーの皆さんが選んだ歌にばらつきはなかった。五首に平均して評点が入ることは珍しい。ただ、批評対象は主に一首目「殴られて」の喩、三首目「窓の下」の解釈に集中した。

さすがにベテラン・重鎮の先生方、「波止場」会員には気付かれなかった部分も拾っていただき、恐縮しきり。

「キムさんの発想は現代詩と前衛短歌が由来ですね」

波涛の八嶋先生に作歌のプロセスをすっかり見抜かれ嬉しくなってしまう。

歌会終了後、会場を本町の四季に移して飲み会。歓迎会も兼ねた。久しぶりに飲んだ亀吉が効いて、帰宅後ソファで撃沈。日本酒は怖い(笑)。

店主はかつて「波止場」の伊東早苗さん(故人)から作歌を指導されたのだとか。伊東さんは藤原編集長の叔母にあたる。

「生活に密着したわかりやすさが特徴の波止場の会からのデビューは意外でした」

主宰亡き後の「波止場」は編集合議制。付け出しデビューでいきなり編集・選者となった私。目分量の主観に頼り作品を発表して来たが、高いレベルで批評を受けることの必要性も痛感した。

今後の作歌の拠り所はここになるだろうと、秘かに私は予感している。