さすがに徹夜明けではしゃぎ過ぎたか、休刊日の今日は8時過ぎまで身体を起こせなかった。時計を見て慌てて可燃ゴミを出す。
幸い今日は完全オフ、頂いた同人雑誌を読みながら終日ゴロゴロしていることにした。よって今日は土屋文明論の続編(前エントリー、原稿10枚)を執筆したり、「波止場」101号のお便り欄のレイアウトをいじった程度。
ケニアAAを啜りながら、この間結社に寄せられたお便りを読む。コスモスの布施先生から頂いたお葉書の文末、「いや重(し)け吉事(よごと)」を復唱。ああこれは大伴家持だな…なんて。口語自由律は古典に興味がないと誤解する向きも多いが、むしろ逆だ。
夕食を掻きこみながら、この間詠んだ歌を推敲。推敲が進むと私個人の体験やリアルタイムの感興からずれていくが、それを許容して作歌している。時としてまるっきり虚構になる場合もある。「私」の拡張は前衛短歌から現代短歌に流れるキーワードでもある。
夕方、お好み焼きを肴に晩酌。再び頂いた結社誌に目を通す。私の感性にフィットしたのは「はな」だった。
ちなみに「はな」は私の所属する「未来山脈」と同じく前田夕暮の「詩歌」が源流の親戚筋である。
幸い今日は完全オフ、頂いた同人雑誌を読みながら終日ゴロゴロしていることにした。よって今日は土屋文明論の続編(前エントリー、原稿10枚)を執筆したり、「波止場」101号のお便り欄のレイアウトをいじった程度。
ケニアAAを啜りながら、この間結社に寄せられたお便りを読む。コスモスの布施先生から頂いたお葉書の文末、「いや重(し)け吉事(よごと)」を復唱。ああこれは大伴家持だな…なんて。口語自由律は古典に興味がないと誤解する向きも多いが、むしろ逆だ。
夕食を掻きこみながら、この間詠んだ歌を推敲。推敲が進むと私個人の体験やリアルタイムの感興からずれていくが、それを許容して作歌している。時としてまるっきり虚構になる場合もある。「私」の拡張は前衛短歌から現代短歌に流れるキーワードでもある。
夕方、お好み焼きを肴に晩酌。再び頂いた結社誌に目を通す。私の感性にフィットしたのは「はな」だった。
ちなみに「はな」は私の所属する「未来山脈」と同じく前田夕暮の「詩歌」が源流の親戚筋である。