朝、私の目を覚ましたのは、事務所近くの防災無線。
「本日9時35分頃、東和地区で津波避難訓練が行われます」
今日は震災一周年。外は雪模様、あの日と似ている。

青森市で行われる「さようなら原発集会」にスタッフが最大限参加できるように、私は町内に残留した。

鎮魂ミサの映像を見ながら、一首詠む。
「春雪が静かに落ちる日曜日/祈りの声が響く教会」

午前中は東平内(清水川~狩場沢)を廻り、昼食はボンネットのオムレツカレー。午後は薬師野→松野木→外童子→内童子→赤坂台団地→小湊→東和。

震災の起きた時間、私らは赤坂台団地にいた。防災無線のサイレンが鳴る間、車を止めて黙祷していた。あの時、私は市内の高台の団地でこうして宣伝車の中にいた。

個人的に思うことや伝えたいことは多々あるが、そこの一部は先の短歌に記している。ストレートな言葉として吐き出すことは、敢えて控えた。物書きはその作品で伝えてナンボの世界。

帰着後青森のスタッフを交え会議入り、13日に迫った告示の段取りを協議。および明日審査を受ける街宣車の準備。

夜、被災地仙台フィルの番組を見ながら議員と一杯。ブラームスの交響曲第三番が流れている。この曲にセルジュ・ゲンスブールが新たな歌詞を付けた、ジェーン・バーキンの「バビロンの妖精」をふと口ずさむ。

「ねじくれた被曝ツワブキ/福島の瓦礫の中に/佇んでおり」

日本野鳥の会「トリーノ」のグラビアに乗った被曝ツワブキの痛々しい姿、野田村と久慈市の境に積まれた瓦礫、仙台八木山で被災しながらも営業していたセブンイレブン、ドラッグストアに売られていた放射線計などが、脳内を幾度となく去来している。明日は原発忌。