
(新聞の一面を飾った我々のねぶた)
昨日は午前中消費税をなくする会の会議。10月2日東京で行われる総会には私が派遣されることとなった。
夜の運行終了後、囃子方と飲みに出掛ける。次の日が運行休日のため中華料理屋で1時30分まで深酒。
こうなるとさすがに翌日はキツい。寝坊のため配達終了は30分遅れ、久慈市・野田村行きへの車両を10分待たせる羽目に。
震災の影響で一斉地方選が延期された岩手県。久慈市と野田村は7日が投票日。前回同様、R4→みちのく有料→R4→R45のルートを経由。距離は片道180km。
三社大祭附祭(昨日は「お還り」、今日は「後夜祭」)の余韻が残る八戸市を抜け、道の駅はしかみで休憩。二日酔いの身体を立て直す。
午前中は野田村へ。片付けられない瓦礫はもう草が被っている。事務所で支援の七戸町議らと合流、ビラ撒きは安家地区からスタート。

(橋は親柱以外全て流失)

(被災したさけます孵化場の再建が始まっていた)
ふと太平洋に目を転じると、ヤマセの発生の瞬間を目撃。今年の冷夏はコイツが原因。

(海上から立ち上る水蒸気。これがヤマセの正体)
飢餓をもたらす悪魔の風とはいえ、避難生活は暑さとのたたかい。冷夏がプラスに作用するとは皮肉な話である。

(安家地区の仮設住宅)
私ら一行は川を遡り、山奥に点在する開拓集落へ向かった。野ウサギ、タヌキが頻回に道を横切る。
ビラ撒きしていると異変に気付く。独特の獣臭さ、唸り。近くにクマが潜んでいる。鉢合わせを避ける意味で、七戸の佐々木町議は得意の民謡を歌い出す。幸い被害はなく終了。
事務所(宇部村議自宅)で昼食を頂く。津波の時はこの事務所も一階が水没。M君や今日ご一緒したKさんなどが青森市から交替で泊まり込み泥と瓦礫を掻き出し、何とか復旧したのだ。
(続く)