天気はまずまず、最高気温25度と快適な一日。いつもの私なら昼から山を歩いているはずだが、昨日の疲労が出て終日臥せていた。

現地での作業は短時間であったが、往復300kmの道のり、冷房のない車で直射日光に曝されたのはかなり堪えた。当日の久慈市は33度を記録したし、仮眠なしも影響したかも知れない。

痛感したのが目のガード。山歩きを日課にしているため肌の日焼けは一切気にしない私だが、目だけは護らないとかなりのダメージ。サングラスを忘れたため、えらい目にあった。

幸い電話は昼に一本程度しかなく(馴染みの酒屋さんからのツケの請求…苦笑)、扇風機なしで夕方近くまで眠りこけていた。

まだ体力が足りないなあ…と痛感すること頻り。破壊の限りを尽くされた海岸線集落と爽やかな夏の太平洋の対比、そしてジムの胸ビレの温もりがモザイク的に夢の中に現れた。

昨夜図らずも着ぐるみにカミナリ(というか最後通諜)を落とした私だが、自分の事だけしか考えていない彼を見ていて、私の頭の中にはビートルズの「アイ・ミー・マイン」が鳴り響いていた(歌詞の意味を思い出して頂きたい)。

板一枚下は海というホタテ漁師経験もした私だが、常に対岸が見え、外洋の影響を受けにくい穏やかな陸奥湾岸に長年暮らしていると、あれだけの恐怖を海から感じることはない。

津波を伴う地震は、これまでに何度もあった。日本海中部地震、北海道南西沖地震…しかし湾内は辛うじて被害を免れて来たのも事実だ。この期に及んで権力闘争に明け暮れる永田町のオッサンのような着ぐるみの無反応・無神経な言動は、そこに根差している。

とはいえ、今回の震災・津波被害、そして原発事故は全く人事ではなくて、県内に多数の原子力施設を抱える本県が同様の被害に遭遇したら…と考えると、今行動しなければずっと後悔すると実感した。

本当は震災後すぐ支援に入りたかった。しかし新聞業務に代打が立たず、予期せぬ引っ越しや県議選事務局入り、そして私自身体調不良で倒れたりしてなかなか機会を得られずにいた。それは私自身の悔いである。

震災復興の支援活動は、現地の選挙日程に関係なく被災者の避難生活解消まで続くことになった。ようやく「一兵卒」と言う身軽な立場になったし、私も今後とも折を見て現地入りする予定である。

今回の現地入りを通じて、改めて自分の今後の生き方が問われていると実感した。感想に変えて。