私が配達を終えて仮眠を取っていると、電話が鳴った。

弘前での療養時代の友人からだった。ここ数年音沙汰(入院)がなかったので、心配していたのだそうだ。

友人は同い年。南郡のとある村の生まれ。農業や土建関係で働いていたが、突然病気を発症。錯乱を止めようとしたお母さんが不幸にも亡くなり、過失致死で刑務所へ。

出所後、自責の念と度重なる発作から命を断とうとして止められ、私と同じ時期に弘前の病院に入院した。

当時の私は、婚約者を亡くしたばかり。後を追ったが死に切れず、入院していたのだ。

お互い大切な人を失った(しかも自分の過失だ)、という共通点もあり、仲が良かった。お互い励ましあって、退院に漕ぎ着けたのだった。

実は前の彼女も、この時期に知り合った。両者共通の友人である。彼の話では時折薬を取りに現われるそうだが、再入院には至ってないそうだ。

調停不成立で、別れた時に、二度と酒だけは飲むなと話した。守ってくれているのなら嬉しい。

この時期ともに療養生活を送った仲間も、半分は鬼籍に入った。特にアルコール病棟にいた仲間は、現在ほとんど残っていない。

当時を振り返るのは、私にとっても辛いのだが、それを乗り越えて今の自分がいる。だからその過去は、誰にも隠していない。みんなの分まで生きてやる、その執念が、私を駆り立てているのだ。

彼の元気そうな話を聞いて、少し安心した。また近いうち、彼の住む弘前へ遊びに行こうと思っている。