さてこのアルバム、もはや評価不要の名盤とも言えなくはないが、「スマイル」とブライアンを語る上で、避けられない話なので、ここに記して置こう。
ビートルズが世界を席巻し、その波がアメリカに及んだ時、既成のアメリカのロックは陳腐化した形となり、ミュージシャンは方向転換を迫られた。
フォークシンガーのボブ・ディランが「ライク・ア・ローリング・ストーン」を発表し、ロックへ向かったことは内外に大きな衝撃を与えた。
時を同じくして、ビーチボーイズのリーダー、ブライアンは「ラバー・ソウル」に対抗すべく、新たなサウンドと歌詞を模索していた。ブライアンは、1964年12月、過労による精神崩壊でツアーを離脱、以降ソングライティングに専念するようになっていた。
ブライアンは、ヒット曲の寄せ集めでしかない従来のアルバム形式から、アルバム全曲を通じて一つの作品とするトータルアルバムの製作を決意。サウンド面も、サーフィン路線を脱し、ビートルズとフィル・スペクターを強く意識したものとなった。
詞は、それまでブライアンといとこのマイク・ラブが担当していたが、ブライアンのコンセプトを元に、外部からライターのトニー・アッシャーを呼んで書かせ、曲はスティーブ・ダグラス、ハル・ブレインやテリー・メルチャーなど外部のミュージシャンに演奏させ、「カラオケ」の状態にしてメンバーを待った。
ツアーから帰ったメンバーを待っていたのは、従来の「海と車と女の子」の世界ではない、未知の音楽。しかもメンバーは全く参加の余地がない。歌うパートも「最終決定」。
これにメンバーは猛反発、特にマイクは「こんなもん誰が聴くんだ!犬か?」と食ってかかった。このエピソードからアルバムタイトルの「ペット・サウンズ」という名がつけられた。
最終的にある程度ブライアンはメンバーに妥協をした。A・ジャーディーンのすすめで、トラッド・ソングのカバー「スループ・ジョン・B」を入れたり、「救いの道」の曲の詞を入れ替えたりした。ようやく1966年5月アルバムは完成したのだが、待っていたのは辛い現実だった。