215日(水)に発行された復興釜石新聞第68号。



1面は、復興庁釜石支所や復興計画意見交換会などの記事を掲載。

注目は、グループ補助金の説明会の記事。釜石商工会議所主催の中小企業グループ施設復旧整備事業(グループ補助金)の第4次募集に伴う説明が2910日に行われた。募集は今回が最後とも言われ、説明会には事業再開最後のチャンスと望みを託す事業所など約200社が殺到した。


グループ補助金は中小企業庁の事業で、同業者や関連企業などとグループを組んで再建計画を作り、県の震災で地域経済・雇用に重要な役割を果たすなどと認定されると、中小企業で再建費用の4分の3(国2分の1、県4分の1)の補助が受けられる。同商議所では3次募集までに水産加工など11グループ(53社)が採択されている。


岩手県経営支援課の担当者は「採択は競争になるが、グループ規模よりも事業内容の規模、復興を成し遂げたいという大義を前面に出した方が認定されやすい」とアドバイス。

事業者の間では「簡単な補助金ではない」との見方も。個人商店主からは「店舗再開への支援は全然足りない。しかも店舗と住宅の再建支援制度が別々では、個人商店の再開は不可能。国や県は二重ローンに苦しむ零細企業の声をくみ取ってほしい」と切実な声も聞かれた。






2面は、東日本大震災で多くの人が津波の犠牲となった釜石市鵜住居町の鵜住居地区防災センターで、亡くなった家族などに花を手向け、供養する人が後を絶たない―という記事を掲載。


大槌町小槌の藤原信子さん(54)は毎週のように同センターへ足を運び、ここで命を落とした両親に手を合わせる。「両親が亡くなったのは仕方ないと諦めています。でも、ここに来れば会えるような気がして・・・」


藤原さんの父、佐々木春治さん(享年82)と母タツさん(享年80)が暮らす実家は、同センターと道路を隔てた向かい側にあった。311日の地震直後、心配で電話した藤原さんに、春治さんから「今から避難するから大丈夫」という元気な声が返ってきたという。震災から2日後の313日、藤原さんは夫と共に歩いて同センターまでようやくたどり着き、2階のホールで両親の遺体を確認した。「遺体の中には知人や親戚もいて、現実味はないんですが、大声で泣きました」。遺体は自衛隊によって収容され、330日に火葬した。


同センターと、同センターに隣接する市立鵜住居幼稚園の周辺では63人の遺体が収容され、避難者のうち26人の生存が確認されたが、何人が避難したかは定かではない。同センターには、1階の玄関と事務所、2階ホールの3カ所に祭壇が設けられ、供え物や供養の花が絶えない。

藤原さんも毎週のように足を運ぶが「ここで人を見かけたことはない」という。しかも供養に訪れるたびに祭壇はきれいに片付いており、「誰がやってくれているのかわかりませんが、感謝の気持ちでいっぱいです」と藤原さん。





3面は釜石市からのお知らせ。4面は、釜石ユネスコ協会が募集した「わたしたちのまち、釜石の未来」絵画展の表彰式が29日、釜石市小佐野町の釜石市立図書館で行われた記事を掲載。


釜石に対する夢や希望をテーマに、市内の小中学校から246点の応募があり、その中から16点が入賞した。

日本ユネスコ協会連盟賞に輝いた今泉秋希君(甲子小4年)は「復興したよ!釜石だ!」と題し、ソーラー発電所や遊園地などさまざまな施設ができた活気みなぎる町を表現。「みんなが楽しめる町になるように」と期待を込めた。

大好きな祭りの情景を描いて最優秀賞に選ばれた小国鈴さん(甲子小5年)は「大きい賞を初めてもらったのでとてもうれしい。復興して安心して住める町になっていく風景などを描いていきたい」と喜んだ。



T-チバ☆