皆さんは「遺体 震災、津波の果てに」という本をご存じでしょうか?






東日本大震災で被災した釜石市。未曾有の遺体が運び込まれ、遺体安置所となった同市八雲町の旧釜石第二中学校の体育館が主な舞台です。

遺体の身元確認を行う医者・歯科医師、街中や海上で遺体捜索を行う消防署員・団員、遺体を安置所へ運び込む市の職員、無力感を抱き涙腺がゆるみつつも読経を読み上げるお坊さん、棺を用意して火葬までの手続きを行う葬儀社の担当者、土葬か火葬で迷う市長、そして遺体に対して経緯を持って対応する民生委員など・・・の心情、葛藤、苦悩を克明に書き記したルポルタージュ、つまり、釜石からの現地報告本です。

作者は、東京都出身のノンフィクション作家・石井光太(いしい・こうた)さん。

貧困や医療、戦争、文化などをテーマに執筆した著書を多数出版しています。

「遺体」は昨年10月に発行され、全国紙の新聞の書評などでも紹介されています。

石井さんをお迎えしてのトークイベントが1月14日、釜石市大只越町の青葉公園商店街の復興ハウスで行われました。






「遺体 震災、津波の果てに」の作者・石井光太さん




地元の書店・桑畑書店の桑畑眞一(くわはた・しんいち)からオファーを受け、石井さんも快諾。出版元の新潮社の協力もあり、本の舞台である釜石市で実現しました。当日は、復興ハウスに市内外から60人あまり訪れました。

イベントは2部構成で行われました。石井さんがコーディネーターを務め、第1部は野田武則市長、第2部はかつて葬儀社に務めていたことがある民生委員の千葉淳(ちば・じゅん)さんと、釜石市のお寺の住職・芝﨑惠應(しばさき・えのう)とのトークでした。






野田市長(左)と石井さん






千葉さん(左)と芝﨑さん




野田市長は遺体を土葬にするか迷っていた時の心情などを語りました(結果的に秋田県などの火葬場の協力もあり、土葬は回避された)。

千葉さんは、遺体安置所での当時の心情を思い出したのか、感極まって泣き出してしまう場面も。

芝﨑さんは、ある女性がつぶやいた「神も仏もない」という言葉にうなずき、虚無を抱いた時の心情を切々と語りました。

トークイベント後は、石井さんのサイン会も行われ、長蛇の列ができていました。

来場者にもインタビューしたのですが、家族や知り合いを亡くした人も多く訪れていました。

正直、マイクを向けるのは辛かった・・・。


石井さんにもインタビューしました。数ある被災地の中で釜石を題材にした理由について

「釜石は被災している地域と被災していない地域に分かれた。被災していない人々が遺体を集めて埋葬まで持っていった。そういった地元の人々がどれだけ重いものを背負って大きなことをやってきたか描きたいと思った」「多くの方々が亡くなったということは(遺体処理が)機械的に行われてしまう可能性がある。千葉淳さんのように遺体に語りかけることで、人間の尊厳を守る人もいたことを描きたかった」と語っていました。

本を書くことに迷いはなかったのか、という質問には「ありのままを伝えることが人々の思いを伝えること」「亡くなった方に対して、ただの遺体になった訳ではなく、本当に回りの人たちがあなたのことをほおむってくれて、必死になって歯を食いしばってやってあげたんだよ。良かったね。という意味を込めて、この本は亡くなった人に書いた」と話しました。


とはいえ、私の知り合いや友人でも正直、この本を読めないという方がたくさんいます。

客観的には読めるかもしれないけど、被災地に住んでいる人々にとっては辛い内容が描かれているのも事実です。

なので、ぜひ読んでほしい、と強く言えないのが正直な気持ちです。

ただ、釜石を舞台とした「遺体」という本がある。ということだけは知ってほしいと切に願います。





T-チバ☆