12月10日(土)に発行された復興釜石新聞第51号。
全6ページ。
1、6面はカラー印刷です。
 
新聞@復興釜石新聞第51号!
1面は、津波で被災した釜石市大町の釜石ベイシティホテルとホテルサンルート釜石が本オープンおよび通常営業を再開した記事を掲載。
釜石ベイシティホテルは9階建て、客室98室。
1階天井付近まで浸水したが、空調やボイラーなどの機器を屋上に置いていたこともあり、フロントを2階に移し、7月1日から仮営業を始めた。
12月7日に行われたオープン記念式で同ホテルを経営する及川智早社長は……、
 
「全国からいただいた激励を忘れず、釜石再興に力を尽くしたい」
 
……と決意を述べた。
ホテルサンルート釜石は7階建て、客室70室。
ベイシティ同様、1階天井付近まで浸水し、ボイラーや空調機器などが地下にあって水につかったため、完全復旧が遅れた(宿泊の素泊まりのみ)。
結婚式などの催事場としての利用度も高く、本オープンした12月1日から連日のように催し物が開かれている(※我々の番組とブログでも結婚式の様子をお伝えしました)。
同ホテルの新里耕司社長は……、
 
「市内に次々とオープンしている仮設商店街などとも連携して積極的に情報発信し、ビジネス客や観光客を呼び込むことで新しいまちづくりにつなげたい」
 
……と意気込む。
 
新聞@復興釜石新聞第51号!
2面は、12月7日に釜石小学校で行われた、南極の昭和基地と衛星通信で結んだ南極遠隔授業を掲載。
授業はNPO法人「パレスチナ子どものキャンペーン」(東京都豊島区)が企画、南極観測隊を現地に派遣している国立極地研究所の協力で実現した。
元観測隊員の横野孝司さんと若生公郎さんが同校を訪れ、衛星通信で昭和基地にいる第52次南極地域観測隊の近藤巧隊員と交信した。
授業に参加した5、6年生50人は、1万4千キロのかなたに広がる雄大な自然の姿に思いをはせた。
 
新聞@復興釜石新聞第51号!
3面は、11月12日に東京都台東区で行われた「環境フェスタたいとう2011」に大震災で被災した釜石市民が招かれた記事を掲載
釜石市から参加したのは、甲子林業センター避難所の担当だった市職員の佐野仁さんと唐芳晃司さん、避難者の食事作りなど運営に協力した大畑町内会の三浦国雄会長、避難所自治会組織のリーダー的存在だった沖寿雄さんと遠野洋子さん。
沖さんらは避難所の様子を話し、特徴的だったこととして……、
 
「被災者ではない地元町内会が運営に協力した」
「仕切りを配置しなかった」
「食堂を作りみんなで食事をした」

 
……など。
ひとつ屋根の下で生活することで生まれた「家族である」という思いが自然と避難所を動かしたという
台東区民から出された、非常時の対応や心構えの質問には……、
 
「普段から隣近所の人のことを知っておかないと、いざという時に困る」
 
……と地域の絆の大切さを訴えた。
 
新聞@復興釜石新聞第51号!
4面は、子供エコクラブサポーターの加藤直子さん、北海道札幌市在住の佐々木善照さん、甲子町の大畑不動老人クラブの杉山久男さんのエッセーを掲載。  
新聞@復興釜石新聞第51号!
5面は釜石市からのお知らせ。
 
6面は、大津波で倒壊した釜石市唐丹町の曹洞宗・海中山盛岩寺の鐘楼と山門が蘇った記事を掲載。
12月8日の宗門の祭事で檀家に披露され、復興の鐘の音が打ち鳴らされた。
大津波は海抜約20メートルもある寺の敷地まで打ち上がり、庫裏、鐘楼、山門を全壊。鐘も無事だった。
修復にあたったのは、宮城県気仙沼市の熊谷建設代表・熊谷幸男さん
8月末から作業を開始し、12月2日には重さ1・2トンの鐘をフックに掛け、撞木の位置を調整した。
同寺の三宅俊禅住職は……、
 
「お寺は地域住民の心のよりどころ。早く修復でき、熊谷さんに感謝する。鐘の音は、唐丹の復興の足音。住民を励ましてくれるだろう」
 
……と期待する。  
T-チバ☆