こういう母子密着関係が女性とのコミュニケーションスキルに影を落としたのだろうか。

榎本さんは女性とは縁がないまま社会人になった。学生時代は男女共学校に通っていたので、いくらでも接触の機会はあったが、女性の前だとひどく緊張して、相手の目を見てきちんと会話することさえできなかった。「怖かった」という。

 

小学生の頃から女の子たちに蔑まれてきて、「どうせ俺は馬鹿にされているんだ。相手にされないんだ」という被害者意識がこびりついていた。女性とのコミュニケーション不全がある一方で、性的欲求のほうはかなり早熟であった。

 

マスターベーションを始めたのは6歳のときだった。入院中に同室だった小学校上級生に「これやると気持ちいいよ」と勧められたのが最初だった。見よう見まねでペニスを擦っていると、たしかに気持ちが良くなり、それ以来やみつきになって毎日自慰行為をした。そのうちにゴミ箱で拾ったエロ本などをこっそり見ながらやるようになった。その頃には特に変わった妄想をしていた記憶はないという。

 

ところが16歳のとき、駅の待合室で赤ん坊に乳を吸わせている女性の姿を見たとき、突然胸が高鳴るほどの興奮を覚え、痛くなるほどペニスが勃起した。それが忘れられなくて、授乳場面を意識して探すようになった。動物園や遊園地に行ったときはそこら中で目撃できたので、興奮しっぱなしだった。10代後半から早くも出歯亀の習性を身につけた。

 

「後ろめたさはありましたけど、やめなきゃいけないとまでは思いませんでした。当時は見たくなくても見えてしまうような時代でしたから。親戚のおばさんなんかも、僕の前で平気で授乳するんで、『ああ、女性というのはそういうものなんだ』と思っていたんです」

 

生身の女性に初めて触れたのは、23歳のときだった。友達に誘われてソープランドに行った。しかし熱心にサービスをされても、興奮はしないし勃起もしなかった。そのときは理由がわからず、「相手の女性に魅力がないからだ」と思うようにしていた。

 

ソープ嬢からは「オナニーのしすぎじゃない?」と言われた。あまりに多く自慰行為をする男性は、現実のセックスでは弱くなると説明され、「そんなもんかな」と漠然と思っていた。

 

その後も何度かソープランドに行って試してみたが、事態は同じだった。もはや女性の魅力うんぬんではないと察して、ひどく落ち込んだ。

 

榎本さんは臆することなく、それを母親に告白してアドバイスを求めた。

「芳ちゃん、そんなこと心配しなくていいのよ。男の人は弱いくらいでちょうどいいくらいなの」母親はそう言うと、父親の非難を始めた。父親は性欲が旺盛で、母親が嫌がっても求めてくるので、それが悩みの種ということだった。

 

「レイプみたいなこともあったのよ」とまで息子に告げた。榎本さんは思わぬところで、ますます母親を哀れみ、父親を憎むように促されたのだった。

 

現在、日本の厚生労働省で認可されているED治療薬はバイアグラ、シアリス、レビトラおよび一部のバイアグラのジェネリック薬が医療機関で販売されています。海外などでは一般的な薬局で購入することが可能ですが、日本においては薬局などで購入することはできず、必ず医療機関で診察を受けてから処方してもらう必要があります。

 

つまり日本でED治療薬を購入するには診察料と薬の購入費がかかります。そして、それらは健康保険の適用外のため、患者の自己負担となります。そのため、ED治療薬を通信販売(個人輸入)で購入する方が増えています。