こんなに早く、彼の訃報を聞くことになるなんて、信じ難い。
高校の課外授業以外で、初めて自分で興味を持って歌舞伎へ行ったのが、平成中村座。
演目は仮名手本忠臣蔵で、勘三郎さんは塩谷判官でした。
歌舞伎に対して、“面白い”“かっこいい”という感想を持たせてくれた人、舞台でした。
映像や音声は残っているでしょうけど、
舞台から客席へ降りてきて、汗もツバも飛んでくる50cmの距離で彼の演技を見たあの迫力・存在感は、
画面では伝わらないと思う。
立ち役も女形も、狂言も世話物も、歌舞伎も現代物もすべて良い役者さんなんて、いないよ。
なんだか悔しい。
去年、芝翫さんが亡くなって、あとを追うように勘三郎さん。
勘九郎・七之助兄弟にとって、大事な祖父と父であり、大先輩・師匠であっただろうに、まだまだ習うことがたくさんあったろうに。
日本へ帰っても、彼の舞台が観れないなんて、、、
つらすぎる。
ご冥福をお祈りいたします。
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