続;今さらながら目から鱗が・・・ | 落語・ミステリー(もしくは落語ミステリー)・映画・プロレス・野球・草バンド活動のよもやま話、やってます。好きな人だけ寄ってって。

落語・ミステリー(もしくは落語ミステリー)・映画・プロレス・野球・草バンド活動のよもやま話、やってます。好きな人だけ寄ってって。

鎌田善和です。売れてない分時間はありますので、遅まきながらブログ始めました。記事は落語やミステリーが中心ですが、映画・野球・プロレス・草バンド活動(野球でいう草野球の事)もリストアップしておきます。気になる、興味がある、と思う人にだけ伝われば。

 え~~っと、柄ばかり長いと水が汲み難いですね。書き出しが厄介なんですがね、こうなったら、どなたも気が付いていないフリをして、まるで何事もなかったかのように一昨日の続きを書き始めてしまうとしましょう。
 さて、この旬の会の大人の遊び(粋に”アスビ”と読みましょうね)の回の参加者には、ほとんど寄席に足を運んだ経験のない”寄席初心者”の方もいれば、お住まいの地域で開催される落語会に足繁く通う猛者もいる。こういう幅の広いメンバーを対象にして、芝居を顔付けで選ぶというのは存外難しい作業です。今回は、ホール落語ではなくてあくまで”寄席”を楽しんでもらうんですから、”寄席”らしい番組でなくてはならない(例えば、しょっちゅう寄席に足を運んでいる方を対象にするなら、”色物”さんの顔付けまで気にしなくても大丈夫なのですが、初心者の方に寄席に興味を持っていただくならば、やはり太神楽は外せないと思いますし…)し、それは、幾ら猛者だといっても、地域落語会に足を運ぶのが”寄席”(=”ホール落語”)体験だと思っている方に対しても必要なアイテムだと考えました。こういうのって、なにも寄席に限った話ではなくて、一般的に言って、散々世間の荒波を掻い潜って来たスレッカラシの大人を相手に新しいことを体験してもらうというのがどういう事なのか、想像してもらえば分かりますよね。初回をしくじったら最後、間違いなくその次はなくなっちゃいます。そういう意味でも責任が重大。これが上手く行ったら寄席ファンが増えるんですからね、落語関係者から表彰してもらってもいいくらいの貢献度でしょ(自画自賛、そして我田引水)。しかも、サンデー毎日の僕と違って、皆さんそれぞれお仕事を抱えていますからね、集合が18時半以降(この条件は、都内のどの定席を選んだとしても同じです)になりますので、夜席の、せいぜい中入り前の演者さんから寄席を楽しむことになりますので、そこからの顔付けでこういう条件を満たさなくてはならないんです。で、やっと見つけたのが4月中席の夜席でした。
 この日は、中入り前が三遊亭歌之介師匠、中入り後が翁家和楽社中さんたちの太神楽曲芸、ヒザ前が入船亭扇遊師匠、ヒザがアサダ2世師匠の手品で(番組表では、ここは柳家小菊師匠の粋曲になっていたんですよ。アサダ師匠のご出演で悪いと言っているのではありませんが、やはり今回の目的である”寄席の粋”を体験してもらうという意味では、小菊師匠に他の儲け話が入ったのは痛かった!)、トリが桃月庵白酒師匠という顔付けでした。僕は、まず歌之介師匠の噺で爆笑して貰い、緊張が緩和されたところで、今度は太神楽でハラハラドキドキしてもらい、次の扇遊師匠で正統派の”江戸の粋”を体感、小菊師匠でさらにお座敷遊びをしているような気持ちになってもらい、最後に白酒師匠に大いに笑わせてもらって、満足感一杯でその後の居酒屋へーという目論見でした。で、当日、小菊師匠に変わってアサダ師匠という変更はありましたが、そういう予期せぬ代演も寄席の楽しみの一つなんだというのも理解された上で、参加者全員に大変に好評でした。
 この日の演目は、歌之介師匠はいつものアレ(地の部分が『竜馬伝』ではありませんでしたし、いつもの、失言癖のある2020年東京オリンピック招致委員長への弄りもありませんでしたが)で、扇遊師匠は『蜘蛛駕籠』、白酒師匠は『お見立て』でした。
 で、ここで興味深かったのが、居酒屋で参加メンバーから聞いた歌之介師匠と扇遊師匠への反応でした(白酒師匠の『お見立て』は、誰もが大絶賛、大満足していたのは言うまでもありませんので、ここではそれは割愛します)。
 歌之介師匠のは、初心者から猛者まで文句なしに楽しめる鉄板の高座だと思っていたんですが、存外そうでもありませんでした。というのは、地域落語会によく足を運ぶ、僕が気を配らなくてもいいと感じていた猛者の方から、「あれは落語なのかどうかよく分からなくて、戸惑いました」と言われたんです。これも僕には”目から鱗”でしたね。考えてみれば、あらかじめ演目が決まっているようなタイプの落語会、しかもそれが、老若男女万人を対象にしたようなものであれば、まず、歌之介師匠のような高座を聴いた経験が無くて当然なんですね。僕はそもそも”寄席”から落語に入りましたので、落語というのは「何でもアリ」だと、どんなものでも受け入れるのが当たり前だと思っていました。ところがそれが違った。レスリングを例に挙げれば、アマレスのみをレスリングだと思っている方にとっては、覆面を被って凶器を持ち、対戦相手の額から流血させるプロレス、電流が流れる有刺鉄線が張り巡らされていて、それに触れただけで爆発が起こるプロレスは、たしかにレスリングじゃないですよね。これも僕は、まずプロレスから入りましたんでね、「何でもアリ」に最初から拒絶反応はありませんでした。だからこういう反応があること自体、考えもしなかったんです。
 そして扇遊師匠の『蜘蛛駕籠』。これには、初心者の方々から、「自分が思う”落語”とは少し違っていた」というような話を聞きました。それは、扇遊師匠がこの噺に入った瞬間に想定した反応ではありました。だって僕自身、寄席で『蜘蛛駕籠』を聴いたのは、遥か昔のことでしたからね。僕は、「こんな珍しい噺を寄席で、しかも扇遊師匠で聴けるなんて、ラッキー!」と思いましたが、そういうプレミアム感の無い方にとってこの噺は、なんだか取り立てて面白みのない話だなぁと感じられて当然だと思います(余談になりますが、そういう噺だからこそ、寄席でもあまりかからなくなっちゃったんでしょうからね)。
 こういう、僕の方が色々と新しい発見をさせられた旬の会でした。僕が当たり前だと思っている事が、けして世間一般の方々にとっての当り前ではないのだと、改めて気付かされました。僕が今、手探りでやらせてもらっている席亭の真似事にとっても、それら総てがとても参考になった1日でした。