書を捨てよ、街へ・・・いや、劇場へ -『春がハーモニカを吹く理由』ー | 落語・ミステリー(もしくは落語ミステリー)・映画・プロレス・野球・草バンド活動のよもやま話、やってます。好きな人だけ寄ってって。

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鎌田善和です。売れてない分時間はありますので、遅まきながらブログ始めました。記事は落語やミステリーが中心ですが、映画・野球・プロレス・草バンド活動(野球でいう草野球の事)もリストアップしておきます。気になる、興味がある、と思う人にだけ伝われば。

 なるほど、物書きであり戯曲家であった寺山修二さんがそう仰りたかった気持ちがよく分かります。今日はまず、昨日、中野ザ・ポケットという劇場で上演された、東京カンカンブラザースvol・7『春がハーモニカを吹く理由』という舞台について書きたいと思います。これを書き終えたら、『WHO~』の続きを書くつもりです。
 さて、この舞台を観て心を揺さぶられない人がいたらお目にかかりたい!これはそう言いたくなるほど凄い舞台です。今もそう書いて、さてこの続きをどう書くべきかに悩んでいます。本当はもう少し時間が経って、この舞台を冷静に振り返れるようになってから(あまりの感動に、帰りにはこの舞台の台本を購入してしまいましたからね。それをじっくり読み終えてから)ブログを書くべきなのかもしれませんが、それをしていたら、このお芝居の中野ザ・ポケットでの公演が終わってしまいます。僕のこんな拙いブログの記事でも、ずっとお読みくださっている方がいらっしゃいますので、そのうちのお1方でもこの記事を読んで興味を持ってくださったら、そして中野まで足を運んで下さったら、この舞台から戴いた感動のお裾分けが出来るかもしれない。そんな思いが原動力になって、僕にこの記事を書かせています。
 この舞台のテーマは”冤罪”です。チラシなどで粗筋を読んでから舞台を拝見しましたが、その重いテーマがここまで”救いようがない”話に仕上がっていようとは夢にも思っていませんでした。今、”救いようがない”と表現しましたが、この舞台を端的に表現するには、その言葉が妥当だと思います。しかしそれが、とても切ないのです。出来るだけネタバレにならないように書き進めますが、内容にも少しは踏み込まざるを得ませんので、その辺りはご容赦ください。冤罪の発生は、この舞台に登場する中で唯一と言っていいほどの悪人が殺された事が起因となっています。しかし、その犯罪を犯した真犯人も、それの冤罪化に加担した者たちも、けっして悪人ではありません(この辺りは吉田修一さんが書かれて、妻夫木聡さんが主演された映画『悪人』を彷彿とさせます)。だからといって冤罪を作っても許される訳ではありませんが、已むに已まれずそうせざるを得なかった善人たちと、その人たちに罪を擦り付けられてしまう更なる善人とその家族たちが、たった1つの歯車の狂いで生じた大きくて強い負の渦の中に飲み込まれていって、その渦の底には決定的な悲劇が待ち受けているというのが、この舞台の構図です。例えば僕には、ここまでの悲劇は書けません。僕なら、話のどこかで善人たち皆さんを救ってしまう気がします。でも、このお芝居を書かれた東京カンカンブラザースの主宰である川口清人さんは、そういう中途半端な”救い”を、このお芝居に持ち込みませんでした。ただ、最後に、主人公同様”冤罪”被害者であって、この舞台で唯一と言って良い狂言廻し的な役の方に向けて、一条の希望の光のようなものは射し込ませていますが。だから”救いようがない”と表現しました。その一方で、善人の皆さんには、これでもかというくらい善意の籠ったエピソードが用意されています。だからこの舞台、とびきり切ないんです。
 僕はこの舞台を、主人公のお1人である棚橋幸代さんがご出演されるからという理由で知りました。ですから、どうしても棚橋さんの演じる役を中心に舞台を拝見してしまうのですが、その観点から観ても充分に面白いんですよ。僕はさっきからこの舞台を、”救いようがない”とか”切ない”とかばかり言っていますが、じゃあこれは”陰々滅々としただけの”舞台かといえば、全くそうではありません。実在する”歌って踊れる”アイドルグループ以上ではないかと思われるような『PKD』(これ、舞台をご覧いただければわかります)のエネルギッシュなステージや下世話な日常なども挿入されていますし、冤罪を作る部分では、或る意味、ミステリーであるかの要素もあります(もっとも川口さんは、それをあまり意識されていないようには感じましたが)。だから、お芝居としてもとても面白いのです。舞台の限られた空間という状況を逆手に取って、時間を行ったり来たりまたは飛び越えたり、エピソードを巧く重ね合わせたり、そういう演劇的手法もとても上手く行っています。観る側がとても刺激を受ける舞台です。ネタバレにならないようにという思いに加えて、僕がまだ興奮状態にありますので、僕の文章で何処までこの舞台の素晴らしさが伝わったかはなはだ疑問です。やはり、使い古された言葉ではありますが”百聞は一見に如かず”です。無理に時間を作っても、是非ご覧いただきたい舞台です。
 最後に余談ですが、棚橋さんを筆頭に、役者の皆さんというのはやはり特別な存在なんだなだとつくづく思い知らされました。”棚橋さん”で言えば、僕はこの1年の間に、色々な”棚橋さん”(役で、という意味です)を拝見していますが、つど、全く違う人のように感じさせられています(舞台の合間にテレビドラマで観る役柄も含めて)。役者さんというのはそういうものだと言ってしまえばそれまでですが、やっぱりそれって凄い才能だと思います。また、ちょうど昨日は、お芝居の終了後にトークショーがあったのですが、そこに出て来られた方々(全員がお出になるのではなく、ローテーションでのご出演だそうですが、運よく昨日は棚橋さんもそこに出られました)は既にその時点で、全く役柄を離れていらっしゃいます。かといって全くの素だとも思えない。役柄からは離れて、しかし役者としての矜持はそのままに、そこにいらっしゃるんです。さっきまで、役柄にあんなに感情移入していたのに、瞬時に切り替えられるんですね。しかも、トークショー後には夜の部が控えていて、また役柄に感情移入しなきゃならないのに。とてもじゃないけれど、普通の人間じゃできませんよね。やはりそういう”ギフト”を与えられて生まれてきた選ばれし人なんでしょうね、役者という方々は。