このゴールデンウイーク中
私は毎日は行けなくて
昨日は妹と都合がつき帰省しました
6月に甥っ子の結婚式があり
何とか壊れずに佇んでる家の中から
取り出すことができた着物を着ることに
着物に手を通す最後のチャンスかもと思うと
やっぱり着ておこう
1月1日新年を一緒に祝おうと
妹と一緒に訪れてくれた妹のパートナー
これからが一層頼りと思ってましたが
知覧の桜のごとく4月5日あちらに旅立ちました
死にゆく2日前に観た彼の顔は崇高で
こんなきれいな顔だったの?と
彼の手を握り、
ずっと能登の復興について語り合いました
肉体的にはかなりのダメージを受けてはいるものの
奇跡も期待し生きてもらうことばかり語り合いました
でも、2日後には
あの綺麗な顔のまま澄んだ綺麗な目を開いたまま
息を引き取ってました
我が家の、能登の復興ににも心を燃やしてくれてましたが
桜の散るときに逝ってしまいました
やっぱり兵隊さんだったのね
日本兵の代表として逝くことを魂が選んだのでしょうね
能登の復興はじりじりと遅い
私も妹も生活の基盤は金沢ですから
復興の遅いことにかまけています
断水は復旧しましたが
大切な弟分を失った私たちは
これまでよりも能登には帰れないでいました
5月からは能登のことしっかりやっていかなければ
私たちは有難いことに
素晴らしいボランティアリーダーの方に会うことができました
初めて要請し、であった方がとても素晴らしい方で
ご自分の休日は全てといっていいくらい
ボランティア活動に費やしていて
家族ぐるみで移動されてます
しかも私が能登に帰るのと違って 遠い県外から
立派な方はたくさんいますが
ボランティア活動されてる方の素晴らしさは計り知れない
妹が事情を伝えお任せしたことは結果をラインメールが画像つきで
そこまでしていただけるとは思ってもいませんでした
ボランティアです
業者さんではないんです
期待の何倍も何十倍も助けていただける幸せを感じています
地震前までは何の関わりもなかった方々から
こんなにしていただける経験をしてることがなんと幸せなことか
大きな蔵が3つ崩壊してますが
失ったものよりお陰での出会いに感謝の気持ちでいっぱいです