金八先生に物申す!! | 岐阜で働くサボリーマンのブログ

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岐阜県のメーカーで働くサボリーマンの戯言です

なんか最近暗いニュースが多いですよね。
子供の自殺についてニュースや新聞で見聞きしない日はないというくらい。
なんとも嫌な気分になります。
子供がイジメを苦に自殺する。言葉に表すのはとても簡単なんですけど、これってもはや異常事態だと思うんですよ。
10代の子供が悩み、追い詰められた挙句、遺書を書いて、自ら死という道を選択するわけですから。
人間とて生物である以上、死に対する恐怖はあるはずなんですよ。
でも、その恐怖すら感じないほどに追い詰められている。
大人を含めれば、日本の自殺者数は3万人。交通事故死者数1万人の3倍ですよ。
そういえば最近は名古屋や岐阜近辺でも、電車での人身事故(電車での人身事故が全て自殺とは限らないですが)も頻繁に起こっているような気がします。
なんか物凄く国全体が病んでるように思います。


で、このニュースに関連して印象に残ったのが、金八先生で御馴染みの武田鉄也さんのコメントなんです。
僕はテレビで武田さんのコメントを観ていたわけなんですが、「ホントにそうか?」とどうしても元いじめられっ子で、悩み多き少年だった僕の見地からちょっと反論したい気分になったので書いてみます。


反論したくなったのは、①「いじめる奴はどうしたって変わらない。いじめられる奴を鍛えるべきだ」②「いじめられるというのは個性。いじめられるという時点で個性があるということ」③「教育は討論だけで作られるもんじゃない。外野は静かにしているべきだ」④「自分が学校に向いているか向いていないか、それを判断するために学校に行くんだ」というところ。




①いじめる奴をどうにかするのが教育なんじゃないでしょうか。
いじめる奴をいじめる奴のままにしておいたら、生涯そいつはどこかで誰かをいじめ続け、人に迷惑を掛け続けます。
そういう奴が教師になったもんだから、先生が生徒をいじめるなんてことが起こるんじゃないですか?
いじめるっていうのはある種本能ですから、その本能をいかに抑え込むかが教育やと思います。
人間には理性があって、それが本能を抑えるのです。
いじめだけが例外というのはちょっと納得がゆきません。


また、最近の子供は弱くなったということが言われています。
でもね、子供=弱いものじゃないのですか?
子供が弱いのは当たり前ですよ。
ホントに強い子供って、昔もそんなに多くはいなかったと思いますよ。
そういった弱い子供を、正しい方向に導き、ときには叱るということも含めて守ってやる。それが大人の責任なんだと思いますよ。
子供が弱くなったのなら、大人がしっかりすべきと思います。
イジメをもみ消す学校に教育委員会。これが弱い者を守る者のすべきことでしょうか。
特に北海道の事件はニュースで見ていて腹が立ちました。
「強気を助け、弱きを挫く」精神、自己保身、隠蔽体質、慇懃無礼といった今の汚い日本の側面を、教育を司る者が率先してやっていた印象があります。
こんな奴らの下でまともな子供が育つわけがない。


②いじめられるのが個性。
よく考えて頂きたい。
そんな個性、自分に必要ですか?
僕はそんな個性なら要らないです。
いじめられるのが個性なら、僕は喜んで没個性になります。
「いじめられる僕は個性的なんやなぁ」といじめられっ子がポシティブに考えられるはずがないんです。
陰湿ないじめを受けて、それでもそのいじめられることを「個性」として受け入れられるなら、その人はよほどのマゾヒストです。
「いじめられるのが個性」ならば、極端な話「犯罪に遭うのも個性」「殺されるのも個性」ということになりかねません。
「個性」で済まされたらたまったもんじゃありません。



③教育は討論だけで作られるものじゃないというのは同感。
でも、外野(所謂我々)が静かにして、一体どうなる。
逆に僕は議論をもっと活発化していった方がいいんじゃないかと思います。
そもそも、こんなにもいじめと自殺について世間で話題になるということは、どうにもならない現場の闇が世間に噴出してきたからじゃないでしょうか。
ニュースで見聞きするような学校や教育委員会だけにこれ以上まかせっきりにはしておけないと思います。
仮に自分の子が自殺して、学校や教育委員会にいじめの事実をもみ消されたらどう思いますか?
そうなってからでは遅い。
議論することにより、1000の間違った意見の中に1の革新的な意見があれば、めっけもんだと思います。

皆がいじめ問題について知ろうとし、議論する。
そうすれば、急速に学校が変わることはなくとも、どうしたらいじめをなくせるか、自分の子供にどう教育すればよいかといったことを個人レベルから見つめ、意識を変えていくこともできるはずです。
皆が変われば全体が変わるんです。
いじめられている、自殺した子供が居たということを忘れないためにも、議論は必要なんだと思います。



④自分が学校に向いているか向いていないか、それを判断するために学校に行くんだということについて。
テレビのコメンテーターは一様にこの言葉を賞賛していました。
ちょっと待って。
いじめられて死ぬほど追い詰められている子に「自分が学校に向いているか向いていないか」なんて判断できるでしょうか。
「生か死か」を迷っているような子に「自分が学校に向いているか向いていないか」なんて悠長なことは通用しないと思います。
不登校の生徒ってのは、苦痛な要素が学校にあるから不登校になるんですよ。
逆に、苦痛な要素が学校になければ不登校にはならないはずです(「学校がメンドクサイ」って理由は除く)

武田さんの話には「不登校の子を学校に連れ戻そう」というニュアンスがあったように思います。
学校に行くのが嫌なもんは嫌なんですよ。学校に苦痛な要素がある限りは。
それをどうにかしないと、不登校は治らないと思います。
僕も中学校の頃にちょっと悩んでいた時期があったのですが、そのとき読んだ本に「死んだらダメだ。死ぬことは逃げること。学校を休むのは逃げではなく、また学校に行くための休息だ」という趣旨の文章が載っていました(記憶が正確じゃないかもしれません)。
その文章を読んだとき、スーっと心が穏やかになった気分がしました。
僕は不登校児(その当時は登校拒否って言ってたなぁ。懐かしい)ではなかったのですが、学校が嫌で休んだことはありますから。


不登校ってのは、休息でもあるし、周りに対するサインでもある。
不登校が健全とは言いませんが、本人にとっては必要なものなんだと思います。
だから、不登校の子は無理やり学校に連れ込もうとせず、よく話を聞いて、長い目で見てあげて欲しいなぁと思います。
自殺されるより100倍も、1000倍もマシじゃないですか。
それで、その子が学校に戻ってきてくれるなら万々歳ですよ。


以上。



あっ、ちなみに僕は武田鉄也さんが嫌いだというわけじゃないですよ。
寧ろ金八先生は結構観てるし、あんな先生が居てくれたらいいなぁと思いますし。
歌も「贈る言葉」とか「新しい人へ」とか「少年期」とか、ジーンときますもん。
ただ、今回のコメントに関してはちょっと違うんでないかいと思っただけです。
なんか、いじめっ子よりもいじめられっ子の方を責めているような感じが受けて取れましたので。


最後に、土曜日の午後の警備の休憩中にNHK第一放送を聞いていたんですが、そこでナルホドと思ったことがあったので書いておきます。
要は命を大切にせなあかんよという話です。

詳しいことは失念しちゃったのですが、生物史だったと思うけど女性の教授がお話されていました。

人間の体には40億年の生物の歴史が凝縮されているんです。
人間の誕生というのは正に生物の進化の歴史そのもの。
まず地球上で最初の生物というのは単細胞生物なわけで、人間の誕生のプロセスで言うと精子と卵子ということになります。
そして、単細胞生物から多細胞生物へと進化を遂げるわけですが、胎児もそのプロセスを辿っていきます。
で、生物は最初は海にいました。胎児にとってはお母さんの羊水が海となるわけです。
そして生物は進化を遂げていくわけですが、胎児も頭や四肢が出来たりと成長してゆきます。
そして、生物は陸に上がり、陸上生活を始めます。このときが出産であるわけです。
僕にも、あなたにも、人間皆がこういった進化のプロセスを辿って行き、歴史を刻んでゆくわけです。
人間だけじゃなく、地球上の動植物全てがこういった歴史そのもの。
草だって、蟻んこだって、ゴキブリだって、歴史の塊なんです。

なんか深いと思いませんか?
だから、他者の命を奪ったり、自分の命を投げ捨てるということは、その歴史を無に返すことになっちゃうんですね。
いじめも深刻なのですが、自分の子供を虐待するという事件も多いです。
赤ちゃんポストなるものも設置されるらしいですね。
http://news.ameba.jp/2006/11/wo1111_2.php
虐待している人に、赤ちゃんポストの利用者には、こういったことをわかってもらいたいなぁと思います。
こんなプロセスを辿って生まれてきた子供なんだから。



歴史というと、天皇家だ、藤原だ、徳川だ等、偉人をイメージしてしまいがちです。
学問としての歴史は昔の偉人、文化、事件を考察するものなのでしょうが、生物学的あるいは哲学的に言えば歴史は己自身ということ。
生命って神秘的ですよねぇ。
勉強になります。


で、人間の誕生にかんするウンチクをもう1つ。
赤ん坊が生まれるときに泣き声をあげますね。
あれは、恐ろしい人間の世の中に出てきて嫌だとか恐いと思ったから泣いているらしいんです。
確かに……。
なんかそれもホントっぽいですね。
生まれたときなんかは記憶が無いですが、純粋無垢な赤ちゃんのうちにこの恐ろしい世の中の現状を見せられたら泣いてしまいます。