衆議院で臓器移植に関する法案の改正が決議されましたね。
このことに対する私感を書いていこうと思います。
結論から言うと、僕はこの法案の可決に賛成です。
多少反対派のことを批判いたしますので。
反対派の方はごらんにならないほうが良いですね。
とりあえず、今回の法案の改正の最大の論点は
「脳死は人の死か?」
ということですね。
僕の意見は、「脳死は人の死」です。
「人間は社会(ポリス)的動物である」
有名なアリストテレスの言葉ですね。
僕はこの言葉は正しいと思います。
人間は社会の中で生きており、社会の中で色々な役割を果たし、色々な恩恵を受けます。
「生きるということは社会的活動をする」だと思います。
これを前提に考えた場合。
脳死という状態は、脳が全く反応をしない状態。脳が回復不可能な状態まで廃絶した状態のことです。
つまり、「ほとんど社会的活動ができない」ということですね。
その状態を僕は「人間として生きている」とは考えません。
確かに生物学的には心臓も動いていて、血流もあり、肌に触れたらぬくもりもあるでしょうが、社会的にどうか?
その点で僕は疑問視をせざるを得ません。
蛇足ですが、僕は寝たきり老人に関しては「社会学的に死んでいる」とは言いません。
会話が出来る時点で「社会的活動ができている」とみなします。
もう1つ、これは感情論でもありますが、脳死状態になった患者の家族達が脳死状態のまま、植物人間状態で延命治療をすることを望むケースが多いらしいですね。
そういう人達が、今回の法案について反対もしているとか。
僕は、正直批判の目を向けてしまいます。
延命治療を脳死状態にまでなってするというのはその家族達のエゴイズムなんじゃないかな。と思います。
確かに、人の死は悲しい物ですね。
できれば失いたくないという気持ちはよく分かります。
でも、脳死の段階で言い方が悪いですが「諦める」べきだと思います。
患者の体は脳死になってから、人工呼吸器などにつながれ、衰弱し、ボロボロになって行きます。
そこまでして患者が生き延びたいと思っているかどうか?
まあ脳死になってる時点で確認のしようがありませんが。
さらに、家族は生き延びさせて何を望むのか?
結局は「大切な物を失いたくない」というエゴで動いているんではないんですかね。
「まだ心臓が動いているのに死なせてしまうなんて可哀想でしょう」「脳が死んでいるだけで体は生きている」このようなことをおっしゃる方がいらっしゃいますね。
これは「患者のため」という名目でしゃべっているだけで、実際は患者周囲の人間のエゴですよね。
僕はもし両親がそのような状態になったら迷わず人工呼吸器を外します。
母親にそれを言ったら「そっちの方が助かる」といってました。
まあこんなもんですね(・ω・)私感でした。