多分、私には決定的に欠けている何かがある。
それは多分、他のたいていの皆さんが経験し、乗り越えたり叶えたり、いろんな感情を抱くモノ。
そう。
自分から誰かを好きになって、ハマること。
好きで好きで仕方なくて、
寝ても覚めても相手のことを思っちゃう、とか
その人のことを考えただけで胸キュン、とか
ずっとひっついていたい、一緒にいたい、とか
親友曰く、「人生のスパイスがない」
んだそうです。
うーん
否定できませんでした。
早く実家を出たかったから、早く結婚したかった。
けど、最初に結婚を決めた人は、すごく束縛の激しい人で、徐々に私を閉じ込めようとしてくる。
仕事しないで、家にいて。
家でお菓子作ったり、そういうこと楽しんで欲しい。
むり。
私お菓子作りだけはダメなのよ。
途中で味見ができないから。
てか、働きたいの。でなきゃ、大学院行きたいの。
それでだんだん揉めるようになって、破談。
結納までしてたのに。
2人目に結婚を決めたのは、1度目に家出できなかったから。焦ったんだな、わたし。
今思えば誰でもよかったのか?って相手。
駆け落ち同然で、東京に移住を決めた。
先に転勤で東京に行ったその人に、
浮気してて子供できたから別れて、って言われた。
バカにしとんのか?
わたしもすでに転勤の辞令をもらってたので、そのまま東京へ。
2人で借りてた部屋で、首括られてた。
私が、別れてもいいけど、自分だけ幸せになるのは許さない、って言ったからか?
あ、救急車呼んだんで蘇生しましたよ?
3人目に結婚しようとしたのが今の旦那。
当時、一人暮らしでありながら、毎晩のように誰かにご馳走になり、コロコロと遊んでいた時期です。そのうちの1人でした。
当時付き合ってた?人は奥さんのいる人。別居中だったんだけど、離婚調停になり、
今の旦那に
「このままだと慰謝料請求されるから今すぐ別れて!」
と言われて別れたものの、旦那との関係はそのままズルズルと。
あれよあれよという間に、ご両親に紹介され、気づいたら結婚してた。
正直にいうと
遊び疲れたんだよ。
でもまさか、この人が非情な人とは思わなかった。
コロナが超厳戒態勢だった頃、次男がコロナ陽性。
俺にうつすな!って言われて、
ビジホから通勤するから!
って言われた時は、家族になったこと後悔したわ。
その一年後、今度は私がコロナ陽性になった時は、出席停止になった子供達を放置して、しれっと仕事行ってた。
職場ではかなり非難なされたらしいけどね。
まぁ、その前から色々あったけどさ。
この3人の他にも、お付き合いした人はいたけど、グイグイ押されて何となく、で、結果私がキレて別れる、って感じだった。
ただ1人だけ、私から好きになって付き合ったのが初彼。中1の冬から卒業する頃まで付き合ってた。
一緒に受けた高校に私が受かり、彼が落ちた。
私は本命が別の高校だったけど残念ながら不合格。
彼は公立が本命で、無事合格。
自信なかったんだよね。別の高校に行っても、うまくいかない気がしてた。
常に相手の気持ちを疑ったりするのは疲れる。
だから身を引いた。
不完全燃焼だったんだよね。
予備校で再会した時は驚いた。
私は東大京大クラス。
彼は関関同立クラス。
シケモクに火をつけようと思ったこともあったけど、やっぱり無理だった。
だってどうせまた離れるでしょ?
前出の親友曰く、
私の人生はルゥの入ってないカレーらしい。
カレーパウダーでカレーっぽい色出してるけど、びちゃびちゃで、旨味もコクもない。
「だから私はあなたが不倫しても止めないよ?
それがルゥになりうるものならね」
って言われました。
ツンドラ気候な私の心に、そんな温かい風が吹くとは思えない。
よって私の人生は、カレーっぽい色をした、
カレーの味がしないただの水煮なんだろうな。
と思う48歳の夏の終わりでした。