大友義鎮(おおともよししげ)
1578年7月25日、フランシスコ・カブラルによってキリスト教徒としての洗礼を受けました。
洗礼名「ドン・フランシスコ」
フランシスコは↑の人ではなく、フランシスコ・ザビエルから。
よく知られている宗麟という名前は実は法名で、仏教徒としての名です。
1562年に出家しています。
以下、大友家、キリスト教に否定的な表現があるので好きな人は注意。
↓↓
耳川の合戦における大敗北の直前に洗礼を受けたということで、宣教師に洗脳されてトチ狂ったんじゃないかという見方が強いです。
というのも、フランシスコ・カブラルという宣教師、日本に来た宣教師のなかでは最悪の部類。
白人至上主義で日本のことは言葉も文化も全否定という、宣教師というより奴隷商人が似合いそうな人物です。宣教師、どんだけ人手不足だったんでしょう…。
上司がマシな人だったので、後に責任者の立場を解任されインドに飛ばされています。
とはいえ当時のインドはキリスト教においては日本より重要拠点だったので左遷というわけではないようです。やっぱり人材不足…。
まあ、このころのヨーロッパ人の典型ではあるのですが、こういうタイプの外国人が戦国時代なのをいいことに負けた側の日本人を奴隷として売り買いしていた(真面目に働くから人気だったとか…)のは事実。イエズス会は宣教師団体としてかなりマシな方ではあるのですが、ポルトガルは大航海時代の奴隷貿易発祥の地ですしね…。
さらにスペイン系宣教師がひっかきまわして、秀吉がキリスト教禁止、家康が鎖国といった措置をとるようになる原因のひとつとなりました。
こののちひとり勝ちしたオランダは江戸時代、日本から銀をざっくざっく持っていきます。
大分県周辺やキリスト教徒にはとても有名で(多分)尊敬されているとは思いますが、その他の地方からすると「キリスト教にかぶれて家を傾け島津に潰されそうになったら豊臣に泣きついた人」です。
さらに戦国時代に興味のない人だと「誰それ?」になります。
個人的には、文化人としてはまあまあでも戦国大名としてはどうよ~~というところ。
それでも大名としてそれなりの知名度があるのは、すべて、もったいないくらい優秀な部下のおかげだと思ってます。
けど仏教が広まっていても続く戦乱に、「仏教では平和は来ない」と思ってしまうのは仕方ないかもしれません。
まあ、キリスト教はキリスト教で古今東西争乱の原因となっているし、キリスト教内でも殺し合いしている(サン・バルテルミの虐殺は1572年)わけですが、宣教師がそんなこと教えるはずもない(ライバル国の悪口は吹き込みまくってますが)。
宗教上の理由から離婚しており、宣教師達は彼女を蔑んでいたようです。
彼女の死の数ヶ月後、秀吉がバテレン追放令を出しているので、あと少し生きてたらなぁ、と思わずにはいられない。
宗教は女性蔑視であることが多いからそもそも好かん。