288.音響家電幻想 | カリブロ:In the Dead of Night

カリブロ:In the Dead of Night

1000のトラウマを持つペシミストの日常

うちの近所の、先日までコンテナ倉庫だった所に、6棟もの建売住宅の建築が始まった。

ところが3棟ごとの家と家の間が2mも無くて、しかも同じ形の家がまっすぐ並んでいるものだから、真ん中の家など、東西の窓を開けても隣の家しか見えないという状況である。

なんでもう少し庭とかで間隔を空けて造らないのか、何か「とにかく目いっぱい敷地を使いました」みたいな窮屈さに嫌な感じがしている。

『効率化』だの『コストカット』なんていうのは、今時の企業経営や業務管理では、当たり前のように必要とされているものではあるが、そこから果たして『夢』のある製品なんかは生まれて来るのだろうか?

これはパナソニックが、取引先に配布している総合カタログで、同社のほぼ全ての製品が掲載されている。
カリブロ:In the Dead of Night-パナカタ
私はこのカタログを見るのが大好きだった。

一台100万円もするラジオや、一組で200万円もするオーディオスピーカーだの、実物を見ることはほぼ不可能でも、同社の技術の頂点を誇示する象徴として掲載されていた製品には、果てしない夢を感じていた。

それらは年に何台も売れるわけはなくても、メーカーの余力と地力を見せ付けるための、存在意義も在ったはずだった。

今のこのカタログにはそんな物は殆ど無い。

特に音響製品は、同社がDJ用アナログターンテーブルで復活させた、かつての『Techinics』ブランドも消滅し、殆ど見る影も無くなってしまった。

同社に限らず、SONYやシャープも大型TV事業の大赤字から、経営が激しい危機状態に陥っているため、まずは売れない製品・事業からの撤退を余儀なくされており、前記のような看板製品なんか作っている場合ではないのは言うまでもない。

もともとオーディオという家電分野において、ピークの頃の大型ステレオセットというのは、実はピアノやマイカーと同様な『豊かさの象徴』としての家財の一つでしかなかったのを、メーカーが『世の中には常にハイファイ・オーディオが求められている』と勘違いしてしまったことが悲劇であった。

コンポーネントステレオ→ラジオカセット→ウォークマン→iPodという小型軽量化と、パーソナル化の流れは、同時に『価格破壊』という戻れない橋を何度も渡ることになり、果てしない消耗戦を強いられることとなった。

それに対し価格競争力に乏しいメーカーは、『高付加価値』というものをアピールすることで、"高額でも求められる商品"を生み出そうという悪あがきをしてはみたものの、結局一部のマニア受けをすることはあっても、その会社の経営を上向きにするようなヒット商品にはなり得なかった。

ただ、なんて言うか、市場に求められていない物を造るのが無益なのは当たり前なのだが、誇りや信念まで見失ってしまったら、そのブランドはおしまいなのではないかと思う。