あの夕方の空気感を私は覚えている。

 

当時、知り合いになった移民の家族との公園までの道のり。仲の良い夫婦の歌声。自国では、大工さんだったと言っていた、旦那さんの分厚い手。少しシャイな、それでもはっきりと見据えるような強気な子供たちの目。その瞬間だけを、あの優しい夕焼けが教会に照らされているのを眺めながら歩いた道のりの映像だけを取り上げてみると、とても幸せな暖かい光景に映る。その家族はとても仲が良く、大変な状況なのに、その歌声の中に暖かい家族の絆が感じられた。

 

代々の先祖をたどるとロシア人であるその家族は、ウクライナから来た移民の方々だった。

 

2014年の夏。ウクライナ東部で起きていた民族間の争いを避け、逃げるように生まれ育ったウクライナを離れ、モスクワに逃げてきた数千人の内の一家族と私は知り合いになった。その紛争が起きた当初は、ロシア政府の対応としてまだそうした移民にパスポートやロシア滞在の許可が下せない頃だった。なので、私が知り合いになった家族には、ビザや労働許可証が保持されておらず、住む場所や働き先もないような状況だった。ウクライナ産まれでウクライナ育ちだけど、ロシア人ということで迫害され紛争に巻き込まれた人たち。数千人規模の移民たちは、建設途中で投げ出されていたビルに、冷たいコンクリートの床と、ガラスの入っていない開口部があるビルに、住んでいた。学校に行くこともできない子供たちを私はそこでたくさん見た。

 

数日前から感情を揺さぶられている。嘘みたいな映像のニュースに脳がついていかないのに。感情だけが動き、涙が出てきた。

 

 

 

最近、youtube など、ビデオ映像が簡単に作れてしまうのが浸透されていく中、すごいなこの変化と思ってしまうこと。

 

メールの文章や、メッセージの文章の変わりに、スマホですいっと自分を撮影し、言いたいことをこの方が早いから、とビデオで送ってくるひとがちらほら増えてきたこと。

 

ビデオ撮影された自分の話し言葉の方が、説得力がある、と言っている人たちもいる。かつ、この方が早いから。感情や表情がでるから。そうかもしれない。

 

 

でも、そうかな?と思う節もある。

 

話し言葉と書き言葉の違いについて考えてみた。

 

私の場合、書く方が、なんとなく考える間があり、その分、真実性というか重みが増すと思っている。一呼吸置く時間があるというか。

 

本当に言いたいこと、人それぞれの形や道具だとは思うけど。

 

 

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居心地のよい状態とは、どんな感じだろう?

人それぞれだとは思うけど。大切にしている感情を一言で表すとすれば?

 

自分にとって、最善な状態とは?環境に左右されやすい?それとも、そんなに変わらない?

居心地がよい、という状態は、視点を変えれば、平和で日常の習慣にある種の定着したリズムで成り立っている状態?自分の意見を表現出来る場所があること?

 

どんな環境だと、’自分らしく’が成り立つのかな? 自分らしさとは?

 

異国や旅行先で、誰もあなたのことを知らない場所で、心が開放されたりした経験がありますか?それとも、生まれ故郷でみせるあなたの姿のほうが、素顔に近いものでしょうか?

 

私が20歳でイギリスに住み始める前に、私の祖母は言った。’遠くに行けば行く程、成長することが出来るよ。よい選択をしたね。あなたの性格なら、両親の側にいるようなタイプじゃないからね。独立して、出来る限り冒険しなさい。’

 

一方、いろんな方々と出会う中、自分の国に戻った途端、性格まで変わってしまった人々を何人も視てきた。変わったというより、そちらの方が、本来の姿なのか、現実に目覚めるというか。これって、環境に順応しようとする本能からの対応なのかもしれないけれど、こうした表面的な対応を越えた場所に自分らしさとか、自分軸といわれた状態があるように思う。

 

本質的なものは変わらないのかもしれない。環境に対する’反応’が変わるだけで。長期的なスパンで視ないと視えてこないことなのだけれど。

 

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'分析を越えた場所’

 

瞑想に打ち込んでいくと、日常の中の一コマに静けさを置くことに居心地よくなる。心の中にあなたという人間の違った角度が少しづつ視えてくる。最初は小さな灯火かもしれないけれど、その灯火は、内側から生み出されたもの。

 

簡素さが、豊かさを生み出すことがある。心の中の自分自身と調和させるために。瞑想しながら、自分自身との接点を確認しながら、心のコンパスを調和させるように。

 

私たちの脳は、素朴に過去からの知識を送ってくるから。そうした知識が本当にあなたの未来に繋がっているものなのか、思考ということをただ頭に浮かでくる雲のように捉えてみる。

 

自分自身に投資してみる、こうした日常の静けさの中に。あなた自身の内側の灯火を照らすために、ポジティブなエネルギーを自分自身に照らすために。

 

私たちの思考を自動操縦として働かせることなく、過去に基づいている予測可能な情報に違った角度を照らし出すヒントを心の中に聞いてみる時間。

 

’心の中のコンパスとの調和’

 

’一コマの静けさ’

 

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’当たり前’ の、当たり前だと思っていた普通の日々の生活が感謝に変わっていく。

 

これが2020年かなと思う。

 

もうあっという間に年末。まだ不思議な感覚で目が覚める朝もある。

 

あっという間という感覚はあるけど、1週間1週間を考えるとき、待ちの時間が多くあり、

状況次第という不確定さに覆われている時もあった。時間が止まってしまったかのような錯覚に陥ったり。

 

このコロナ騒ぎがなかったら、今頃まだマニラの生活なのかな?とかぼおっと窓を眺めながら、想像してみたりする。こんなことってあるんだなあ、と。現実に追いついていない思考が今ふっと頭に浮かんだりする。

 

3月にマニラで従事していたフルタイムの仕事がぴたっと止まり、そのままマニラのロックダウン突入。6月の日本への国際便が再開されるまで、ほぼ家に引きこもり状態だった。

 

今から振り返りをした時、本当に運がよかったな、と思う。

 

再開されたタイミングのよい状態の時に、航空券がとれ、東京での数週間の滞在もほぼ平和に過ごすことができ、長い待ち時間というか保留のような時間を経由しながらも、気がつけば、無事、故郷の札幌で再生活をはじめることができていた。息子も心機一転、学校に通っている。

(マニラで通っていた学校は、今年一杯、オンライン授業になってしまったらしい。)

 

母と笑いながら、’不思議だよね。考えてみると。3月から、まともにフルタイムで働いていないのに(←副業はしてますが。)、息子と親子二人、しっかり生きてるよ!’って。

 

Art kept me sustainable. Art has always been a royal friend walking along with me.

Art is/ will be a faithful best friend.

アートによって、心が平静になれたし、ずっと寄り添い、共に歩いてきた友人のような存在だったし、これからもそうだと思う。

 

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私がマニラで過ごしたロックダウン期間中に、周囲で流行っていたことがある。

もちろん、基本的には、自宅待機だったので、日々、息子と二人で過ごすことが多かったのだけれど、週に一度のスーパーマーケットやちょっとしたゴミ出し等で近所でバッタリ知り合いに会った時。

 

’デイスタンス ハグ!!!’とニコニコ叫びながら、1、2m離れた距離から、お互いをハグするようなボデイランゲージをつかうのが挨拶代わりとなっていた。

 

スーパーや、マンションのエレベーターなどには、ニコちゃんマークがついたポスターが飾られ、

’こういう時だからこそ、マスクで視えなくても、お互いにニコちゃんマークを飛ばすようにしようね!’という張り紙が張られていた。

 

こういうちょっとした日常の声かけの存在って大きいんだな、と今になってすごく分かる。

 

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個人的には、無関心が二極化を生み出しているのかなと思うことがある。

 

日本に帰国して、しばらく落ち着くまで実家で滞在していた時に聞いた話。

 

私の両親が退職して暮らしているその街の隣の小さな街で起きたこと。

その田舎の小さな街で最初にコロナに感染してしまったのは、幼稚園に通う小さな女の子と彼女の母親だった。田舎街なので、どんな人が周りに住んでいるか皆把握しているような状況で、噂はあっという間に広がり、回復した後も、皆がなんとなく避けるような状況になってしまったらしい。その親子は住み辛さを感じたのか、誰も知らない場所へ引っ越して消えてしまったそうです。この話をその街出身の札幌在住の知人に話したところ、’ああ、その典型的な田舎の人々の対応わかるわかる。僕も今は実家に帰りづらいから。札幌のナンバーの車が止まっているのを近所の人に視られたら、親に迷惑かけるかもしれないから。’

’え?。誰のせいでもなく、誰が実際、感染しているかお互い様なはずなのに。。’と思った。

 

一方、最近、札幌で再生活をはじめ、たまたま出会ったロシア人の女性。彼女は今年はじめに日本に旅行にきて、このコロナ騒ぎになり、そのまま帰国が不可能となり、なんともう7ヶ月以上も足止めにあっている状況。私もマニラで3ヶ月足止めをくらい、運良く帰国した状況なので、彼女の状況を聞き、なにか出来ないものかと、一緒に移民局へ行き、せめて今保持している旅行ビザを労働ビザに変換できないか頼んでみた。こんな状況の中で、働けたら少しは経済的な不安要素だけでも消えるのでは、と。結果は残念ながら、書類上そう簡単には労働許可はおりないらしい。7ヶ月も足止めになっているのに。

 

この女性のように足止めとなっている外国人で、その移民局はけっこう混み合っていた。たまたまそこに居合わせたイタリア人男性と、日本女性がいた。なんとその日本女性は、英語は全く話せず、彼らの会話は、iPhoneの音声ですべてなされていた!!。私はこういうアプリにとても疎いほうなので、なんだか未来がそこに視えたのだけれど。そのイタリア人男性が郊外の田舎道で、ヒッチハイクをしようと手を挙げていたのを発見し、車に乗せ、そのまま家に滞在させているらしい。え? 大丈夫なの? と思わずお節介おばちゃんになってしまった私。私は、外国に住んでいた時に似たような状況で、人を助けようとして嫌な思いをした経験が何度かあったので、昔の自分を彼女の中に見せられているような気がして、心の中でなぜかむっときていた。頭に浮かんだのは、札幌在住20年程と言っていたあるアメリカ人の言葉。`日本は、本当に平和で人は優しいけど、頭の中に’危険’って言葉が入っていないんだよ’

 

Equal giving and receiving(対等に与えることと、受けとること。調和)が人間関係には大切。ってよく言われていることですが、今年のコロナの状況の中、考えさせられることは多いなと。こういう状況だからこそ、表にでてきているのかもしれないけれど。

無関心と思いやりの対局をみた気がした。

 

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これからは本当にAIが中心の世界になるんだなあ、とつくづく思ったこの3、4ヶ月過ごしたマニラでのロックダウンの間。もともとあまりネットをサーフィンするような性格ではなかったので、こんなにyoutubeやSNS、ほかいろんな情報でリサーチした月日ははじめてかもしれない。あまりアプリは得意ではなかったけど、得意ではないと言っている訳にはいかない変化の波に乗らないと、

という感があった。以前の私は、どちらかというと、友人に平気でラインの使い方分からないから、オーソドックスなメッセージにしてね。と言っているような人間だった。今考えると、’老化’?笑の路線でやばかったなあ、と反省。

 

コロナショックも相まって、やはりリモートワークや副業、ネットで稼ぐ情報など収集もした。実は、ネット社会をうまく利用して、いろんな生き方、働き方をしている人たちがいて本当に驚いた。

 

私が最初にみつけた副業になりそうなことは、大量の写真を視て、写真に写っている’形’を、人とか、自動車とか、信号機とかをAIに教え込むという作業だった。1日お試し作業をしてみたが、ゲーム感覚なことが好きな人には向いているかもしれないが、私には、スピードの早さについていけなかった。汗。ズームアップを思い切り最大にしても、私の目には、豆粒の黒玉にしかみえなかったが、AIが、ぶーっと音を鳴らし、’それ、人だよ’と、逆に教えてくれることもあった。そうしてもたもたしていると、スピード感が遅いと、AIに私の能力を判断されたのでした。笑笑

 

私の場合、そんな大量の写真を秒速で視ていくなんて、1時間も作業したら目がしょぼしょぼになりましたが、本気で作業している人は、1日8時間こなしているみたいです。時給に換算すると、1時間1,200〜1,500円ほどなので、悪くはないと思います。逆にフィリピンの場合だと、高給の部類かもです。かつ、作業的には覚えてしまえば、向いている人にとっては、シンプルかもしれません。少々、ロボットになったような感じも泣きにしもあらずでしたが。魅力的なことは、自分が空いている時間に作業ができること、決まった時間にログインしなくても24時間いつでもどこでもできること。そんなこともあって、フィリピンのシングルマザーの女性たちとか、ほか、本当に世界中の人々が参加してました。サイト内で、作業仲間との交流も可能になっていました。

 

税金関係の書類を提出するのが少々面倒ですが、英語が出来る方(今は翻訳機能もついているとは思いますが。)などご興味がある方は、試してみるのもよいかもしれません。Remote work, work from abroadなどで、検索すると出てきます。

 

他にも、Fiver とか、teachable, shareskillsなど、いろんなプラットフォームが出来ていて、フリーランスにとって、仕事の探し方がより柔軟に変化しているんだなあ、と感じたのでした。

 

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ABEMAプレミアム

 

 

先週、無事に日本に帰ってきました。

なんだか、ロックダウンの期間中のホームステイぼけになっているのかまだ現実感がなく、朝目が覚めた時の自分の居場所に戸惑うこともしばしば。

 

今回は、余計な長い道のりは避け、少々高めだったけど、ANAの羽田着直行便を予約した。マニラでは、20歳以下は、ロックダウン解除後も外出禁止だったので、息子はほぼ4ヶ月ぶりに外の空気を吸うことになった。

 

二人でそそくさと荷物をまとめながら、マニラ滞在、結局1年しか経験できず、学校や仕事に明け暮れ、なんとここまできて、有名な海や島々に旅行できなかったね、と話しながら。息子は微妙な15歳。1年という短い間だったけど、彼の顔つきを見れば、本当に大人になったなと思っている。

 

フィリピンに長く滞在している日本人の方々がよく口にする言葉。’ここにいると、昭和の味がするんだよねえ。’ たぶんフィリピン人の人なつこさに味を感じていることからくる言葉なんだと思う。

 

私も何度もフィリピン人のお節介とまでいえる愛情に心救われた。ロックダウン中も、大家さんの女性の言葉や心遣いに感動したり、結局、空港までも、タクシーは誰が乗ったかわからないし、帰国途中で感染したら大変だからと、息子の学校の先生が仕事をぬけて、送ってくれた。感謝感謝。こういうふれあいがあったので少々名残惜しい面も多々だった。

 

空港に着いた後、びっくりしたのが、中国人の方々。なぜか皆、どこでその宇宙飛行士のようなのりの全身装備のユニフォームを入手できたのかなぞだけど、子供から大人まで、おなじユニフォームを全員着ていた。。。3歳児まで足の先から頭のてっぺんまで隠し、視えるのは、ゴーグルの中の目だけだった。私やフィリピン人旅行客は、どっちかというとマスク以外、Tシャツ短パンみたいな服装だった。

 

 

とはいえ、マニラは、着々と感染は増加の一方なので、かつ最近は空港での警備の方々の感染も出てきていたので、私含め皆、パリパリはっていて、あちこちでアルコールスプレーを吹き付けいていた。

 

なんだか日本らしいなあ、と思ったのが、ANAのカウンター。(まだマニラだったけど)チェックイン前のこの異常事態中のご挨拶。人員削減の影響なのか、ほぼ全員日本人の職員だった。’コロナに負けず、団結して頑張りましょう!’と呼びかけていた。エイエイオー!みたいなのりに思わず笑顔になる。

 

 

で、飛行機に乗り込んでびっくり!ネットで予約した時点では、ソーシャルデイスタンスのルールの基づいて、1席あけて間をとりながら座ると聞いていたのに、なぜだか満席!正直、ぎょっとした。こんなにぎゅうぎゅうだったら、感染しても仕方ないかなあと思ってしまった。

 

とはいえ、全日空の日本行きは、日本在住なのかほぼフィリピンの方々で溢れていて、家族連れも多く、赤ちゃんから年配の方々までいて、コロナ前の状況と変わらない感じだった。

 

息子を連れていたので、この帰国の決断を踏み切る前に私なりにリサーチをしていたにも関わらず、羽田空港に到着してみてはじめてわかったことがある。なんと、羽田で感染の検査を受けてネガティブだったとしても、その後2週間は、国内線に乗れないのだと知らされた。私は、ネットで実家のある札幌まで普通に予約できたのだけれど、そう言うと、全日空の方に不思議がられた。予約できないように設定されていると。羽田空港内の普通の待ち合いのベンチで、頂いた毛布に包まりながら一泊した。小さな赤ちゃん連れの家族づれや、いろんな方々が100名ほどいた。お弁当まで配られ、この想像していなかったようなトムハンクスみたいな状態だったけれど、日本について安心したのか、私も息子も朝まで爆睡だった。

 

無事、親子共々、検査はネガティブだったけれど、今は、指定された東京のホテルに滞在しています。マニラでは、住んでいたマンションの敷地外には出れないように、警備員の方々が見張っているぐらい厳重だったので、東京の風景は、なんだか平和です。

 

 

 

 

 

’私が嫌な人間にならないと何も変わらないでしょ!’ とその経理のおばちゃんは言った。

 

彼女は、率直に上司に物を言える立場をそうやって確立していた。当時は、あまり気づかなかった、そんな彼女の愛情。

○○さん(彼女)は厳しいから、ごめんちょっと○○さん(私)、彼女にこれ頼んでくれる?みたいな感じで同僚にこっそり頼まれる事もあった。皆、少々ビビっていた。笑

 

数年経った後、縁会ってその上司と些細な会話をする機会があった。’彼女は、他人にも厳しい分、自分にも相当厳しい人だよ。愛情というものを本当の意味でわかっている人だと尊敬している。’と、ふいな会話から出てきた言葉。

 

感動した。何も表面的には言わないけど、理解している人っているんだなあ。って。愛情。

 

アメリカから発端して、今起きている人種差別の波紋をあちこちに見かけながら、なぜか思い出したこと。Black lives matter(黒人の命も大切。)立ち上がる人たちがいるからこそ、きっとバランスってゆっくりながら調和されていくのかな、と大きな枠としては、今起きている事にほっとしている自分もいた。

 

Black lives matter. Yellow lives matter. Any colors matter. と私的には、付け加えたい。笑笑。黒も、黄色も(日本人ふくめアジア人)、どんな色も平等。

 

私が趣味で参加している詩のグループの中には、オンラインなのでいろんな人たちがいる。アメリカでの事件が起きた後の反応は、とても早かった。黒人の人たちが、自分たちがどんな差別や待遇を受けてきたか、自身の経験の投稿の数が凄かった。それに対して、1人白人の女性が、White lives matter. (白人の命も大切)という詩を投稿した。かなりの衝撃的な暴露的な詩だった。彼女の母親が、若い時に黒人の男性(この詩を投稿した女性の父親ではないらしいけど。)にレイプされ、その経験が忘れられず、アル中状態となり荒れだすと`黒人は人間じゃない。動物だよ。感情のない動物’と、彼女が小さい頃から何度も何度も泣き叫びながら訴えている母親を見てきた、と。こうして書いているだけでも涙が出てくるくらい衝撃的な率直な詩だった。が、この詩を書いた女性は、さらに素晴らしかった。

彼女は書いていた。私の立場での反応には二つの選択肢があると。

’大切な母親の人生を、彼女の心を蝕んだ経験を’黒人’と大枠に惑わされて、悪魔を自分の心に住まわせるか?’

それとも、’皆、一人1人、違う人間として捉えるか?’

 

母親の状態から私が学んだのは、心の状態。悪魔を住まわせる生き方はしたくない。

私は私。それだけ。と結んでいた。

 

 

感動した。とても勇気のある行動だったと思う。