先週、無事に日本に帰ってきました。
なんだか、ロックダウンの期間中のホームステイぼけになっているのかまだ現実感がなく、朝目が覚めた時の自分の居場所に戸惑うこともしばしば。
今回は、余計な長い道のりは避け、少々高めだったけど、ANAの羽田着直行便を予約した。マニラでは、20歳以下は、ロックダウン解除後も外出禁止だったので、息子はほぼ4ヶ月ぶりに外の空気を吸うことになった。
二人でそそくさと荷物をまとめながら、マニラ滞在、結局1年しか経験できず、学校や仕事に明け暮れ、なんとここまできて、有名な海や島々に旅行できなかったね、と話しながら。息子は微妙な15歳。1年という短い間だったけど、彼の顔つきを見れば、本当に大人になったなと思っている。
フィリピンに長く滞在している日本人の方々がよく口にする言葉。’ここにいると、昭和の味がするんだよねえ。’ たぶんフィリピン人の人なつこさに味を感じていることからくる言葉なんだと思う。
私も何度もフィリピン人のお節介とまでいえる愛情に心救われた。ロックダウン中も、大家さんの女性の言葉や心遣いに感動したり、結局、空港までも、タクシーは誰が乗ったかわからないし、帰国途中で感染したら大変だからと、息子の学校の先生が仕事をぬけて、送ってくれた。感謝感謝。こういうふれあいがあったので少々名残惜しい面も多々だった。
空港に着いた後、びっくりしたのが、中国人の方々。なぜか皆、どこでその宇宙飛行士のようなのりの全身装備のユニフォームを入手できたのかなぞだけど、子供から大人まで、おなじユニフォームを全員着ていた。。。3歳児まで足の先から頭のてっぺんまで隠し、視えるのは、ゴーグルの中の目だけだった。私やフィリピン人旅行客は、どっちかというとマスク以外、Tシャツ短パンみたいな服装だった。
とはいえ、マニラは、着々と感染は増加の一方なので、かつ最近は空港での警備の方々の感染も出てきていたので、私含め皆、パリパリはっていて、あちこちでアルコールスプレーを吹き付けいていた。
なんだか日本らしいなあ、と思ったのが、ANAのカウンター。(まだマニラだったけど)チェックイン前のこの異常事態中のご挨拶。人員削減の影響なのか、ほぼ全員日本人の職員だった。’コロナに負けず、団結して頑張りましょう!’と呼びかけていた。エイエイオー!みたいなのりに思わず笑顔になる。
で、飛行機に乗り込んでびっくり!ネットで予約した時点では、ソーシャルデイスタンスのルールの基づいて、1席あけて間をとりながら座ると聞いていたのに、なぜだか満席!正直、ぎょっとした。こんなにぎゅうぎゅうだったら、感染しても仕方ないかなあと思ってしまった。
とはいえ、全日空の日本行きは、日本在住なのかほぼフィリピンの方々で溢れていて、家族連れも多く、赤ちゃんから年配の方々までいて、コロナ前の状況と変わらない感じだった。
息子を連れていたので、この帰国の決断を踏み切る前に私なりにリサーチをしていたにも関わらず、羽田空港に到着してみてはじめてわかったことがある。なんと、羽田で感染の検査を受けてネガティブだったとしても、その後2週間は、国内線に乗れないのだと知らされた。私は、ネットで実家のある札幌まで普通に予約できたのだけれど、そう言うと、全日空の方に不思議がられた。予約できないように設定されていると。羽田空港内の普通の待ち合いのベンチで、頂いた毛布に包まりながら一泊した。小さな赤ちゃん連れの家族づれや、いろんな方々が100名ほどいた。お弁当まで配られ、この想像していなかったようなトムハンクスみたいな状態だったけれど、日本について安心したのか、私も息子も朝まで爆睡だった。
無事、親子共々、検査はネガティブだったけれど、今は、指定された東京のホテルに滞在しています。マニラでは、住んでいたマンションの敷地外には出れないように、警備員の方々が見張っているぐらい厳重だったので、東京の風景は、なんだか平和です。