1973年1月14日、ハワイで行われた、クイ・リー癌基金のためのチャリティ・コンサートのイントロダクションで、エルビス・プレスリーはステージからファンに向かってこう語りかけた。
「今日のコンサートは、癌の基金を集めに協力しております。
5,000、いや25,000ドルを募金の目標額にしておりましたが、何と75,000ドルも集まりました。
皆さん、ありがとうございました。」
君を忘れない
終わることのない夏が過ぎても
一人になると とても寂しくなるだろう
君のことだけを想いながら生きていくんだ
そして忘れないだろう
夏の暖かいそよ風のような君の声を
君の優しい笑い声の聞こえる朝を
いつも君を思い出すだろう
コーラス
いつか君の腕の中に
もどってこよう
その時まで
そして忘れないだろう
ふたりで願いを込めた明るい星を
私をいつも愛し忘れないと
約束してくれたあの星を忘れない
この切ない歌詞のメレを書いたのはクイオカラニ・「クイ」・リー。
1960年代のシンガー・ソング・ライターだ。
1932年7月31日、中国の上海で生まれた彼はスコットランド、ハワイ、そして中国の血を引いていた。
母親のエセルが5歳の時に亡くなると、父親のビリー・リーは彼をハワイへと連れ帰り、カメハメハ・スクール(ハワイの血を引く子供たちの教育のために設立された私立校)へと入れた。
後に、ハワイアン音楽を演奏して世界中を回る彼が、妻となるフラダンサー、ローズ・フランセス・ナオネ・レイナニにあったのはニュー・ヨークのレキシントン・ホテルだった。
リーがナイフ・ショウの振付師兼ダンサーとして働いているときだった。
そして、ハワイへ戻った二人は、ワイラナ、マヘアラニ、マイレとキモの4人の子供をもうけている。
世界的なヒット曲、「タイニー・バブルス」で有名なドン・ホーはクイのデビューに大きくかかわっている。
1961年、二人はドン・ホーの母親が経営するクラブ、カネオヘの「ハニーズ」で出会った。
ドン・ホーはリーがこのヒットソングを見せてくれた夜のことを思い出してこう語っている。
「彼は『アイル・リメンバー・ユー』という曲を持ってやってきた。
私は一晩、彼と付き合って、彼がこの曲にこめた思いを理解しようとした。
翌日、クラブで曲のアレンジを書き上げた。
その夜、私はクラブでこの曲は友だちの書いた曲として紹介をした。
当時、クイ・リーは咽頭がんを患っていたため、私が歌ったのだが、その夜のことは忘れられない。
だれもかれもが涙を浮かべていた。
それから、クイを観客に紹介した。
彼はステージに上がって来て、歌った。
その場にいた人々は本当に泣いていた。
その後の彼については、皆の知っている通りだ。」
「ミスター・タイニー・バブルス」と呼ばれたドン・ホーがこの曲をレコーディングしたことによって、クイ・リーは一躍有名人となった。
1966年12月3日、クイ・リーは34歳の若さでリンパ腺の癌のため、メキシコのティファナで亡くなった。
彼の遺灰はハワイへと運ばれ、ワイキキの海に撒かれた。
この曲はエルビスの映画、「カリフォルニア万才」(1966年)のサウンド・トラックに収録され、彼のヒット曲のひとつとなった。
1973年のこの日、彼は癌基金集めのためにひと肌脱いだのだ。衛星放送で中継された、このショウはエルビス・プレスリーの伝説のコンサートと言われている。
I'll Remember You by Kui Lee