「真景累ヶ淵」(その12) | カクザンのブログ(岡山市の親子将棋教室)

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子どもたち、保護者の方に、将棋の楽しさ・魅力をお伝えします。次回教室は高島特別教室が6/30(日)、津山おもちゃ図書館特別イベントが7/7(日)の予定です。

カクザン:とてもドラマチックな展開のエピソードでした。お隅さん、ものすごく魅力的な人物ですね。

テガタ:たしかに。夫の仇をうつために、最愛の家族に偽りを貫かねばならんところは実に辛い展開じゃったが、その後の冷静な行動はなかなか凄いと感心させられたなあ。

カ:そして、山倉富五郎殺害に成功しました。残るは安田一角ですが・・・。

テ:いかにお隅といえども女の細腕ではちと心配じゃのう。

カ:とても気になります。つづきをどうぞ・・・。

 

12.お隅の死

2通の書置を残して、お隅は裸足で雪道を駆けていった。向かうは安田一角のいる交遊庵。

 

暁方(あけがた)になって麹屋では血だらけになった富五郎の死骸が見つかり大騒ぎに。傍にお隅の残した書置が2通あり、内容を改めた麹屋の主は大勢の人を頼んで恐々ながら交遊庵を訪ねてみると、一角はおらず、一角の内弟子である貞蔵の死骸が転がっており、返り討ちにあったお隅も無残な姿で見つかった。

 

お隅が残した2通の書置は羽生村へ届けられ、母も惣吉も多助も、「アアそうとは知らずに犬畜生ののような恩知らずの女と悪(にく)んだのは悪かった・・・」と嘆き悲しむばかり。「悪いは一角、早く討ちたい」と思うものの、何しろ年を取った母と子供の惣吉ではどうにもならず、花車を訪ねて親子2人で上総の東金へ行くことに。名主役は村の顔役の石田作右衛門に預けることとなった。

 

惣吉親子とは入れ違いに、花車は惣次郎の菩提寺へ香花を手向けに現れた。そこの住職にお隅のことや惣吉親子が花車を頼って東金へ出発したことなどを聞く。惣次郎を殺した犯人は安田一角に定まったので、花車も惣吉親子を追いかけることに。途中、3人の武士に取り囲まれ、追い剥ぎされそうになる。3人は安田一角の回し者で、花車をなぶり殺しにすれば一角から手当をもらえるという算段であった。

 

花車「まアそんなに押さえられては困りますね、待ちなさい上げますよ、・・・」

武士「くれぬといえば許さぬ、浪人の身の上切取強盗は武士の習い、いい出しては後へ引かぬからお気の毒ながら切り刻んでもお前の物は残らず剥ぐぜ、・・・」

花車「だから上げるけれども、待ちなさいよ」

と左の手に持っていた傘をぽんと投げ出し前から胸倉を取って押さえている一人の帯を押さえてぽんと投げると、庚申塚を飛び越して、薄氷の張った沼の中へ落ちた。残る2人のうち、一人は逃げ出したが、もう一人は花車の後ろに組み付いていたので、これを押さえつけると、「うーん」と息が止まった。

 

花車「みっともねえ面だなア、此奴も投げ込んでやれ」

と沼へ放り込み、傘をもってのそりのそり進んでいった。角力取(すもうとり)というものは大まかなもので・・・。

 

惣吉親子の方はというと道中、母親にきりきり癪が起こり、癒えるまで宿で長逗留を強いられることに。そのうち年も果て正月となり、元日に寝ていては縁起が悪いと、病体をおして惣吉の手を引いて出立。小金ヶ原へ掛かり、塚前村の知己(しるべ)の処へ寄ってやっかいになろうとしたが、子供に婆様で道ははかどらない。霙(みぞれ)が降りだし、とっぷり日は暮れてしまった。小金ヶ原から3里ばかりのところの大きな観音堂のところで母親を再び癪が襲った。

 

母「アア痛い、あああのお医者様から貰ったお薬・・・、あれ汝(われ)持って来たか」

惣吉「あれ己(おれ)置いてきた」

母「困ったなア、ああ痛い痛い」

 

そこへ色白のでっぷりとした尼が現れ、「それはお困りだろう、どれどれ此方へ這入りなさい」と観音堂の奥へ案内した。

 

尼「薬がなくっては困ったもの」。

 

この先を一町ばかり行くと休憩処があり、そこで良い薬が手に入るはずだからと惣吉に買いに行かせることに。惣吉は御年10歳の子供だが、親孝行者で、尼に言われたとおりの道を進んでいったが、途中で道を尋ねてみると、薬は小金まで行かねば手に入らないと言われる。小金までは子供ではとても行かれない距離だという。心細くなった惣吉は観音堂へ戻ってみると、情けないかな母親は咽喉を二巻ほど丸ぐけで括られて虚空を掴んで死んでいた。荷物も多分の金もなくなっており、尼の姿もなかった。

 

惣吉がヒイヒイ泣いていると、そこへ藤心村(ふじごころむら)の観音寺の和尚・道恩が供の男と一緒に通りかかった。訳を訊いた道恩は気の毒がり、供の男を走らせて村方へ知らせにやった。

 

道恩「誠に因縁の悪いので、親の菩提のため、私が丹精してやるから、仇を討つなどということは思わぬがいい、私の弟子になって、母親や兄さんのために追善供養を弔うがいい」

 

惣吉は道恩の弟子となり、剃髪し、名を宗観と替えて仏門に入ることになった。 

 

 

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