「真景累ヶ淵」(その5) | カクザンのブログ(岡山市の親子将棋教室)

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子どもたち、保護者の方に、将棋の楽しさ・魅力をお伝えします。次回教室は津山おもちゃ図書館教室が10/6(日)、高島教室が10/6(日)の予定です。また表町商店街将棋イベントを10/19(土)に開催予定です。

カクザン:この物語は豊志賀の怨念が新吉に降りかかってくるというストーリーなんですね。女房を持ては七人までは殺すと。

テガタ:そういう意味では「牡丹灯篭」のお露とは違い、豊志賀のストーリー上の存在感は大きいといえるな。

カ:お久も死んでしまいましたが、この後、6人も犠牲者が出るんでしょうか?

テ:そんなにおったかどうか、ワシも記憶が定かではないな。しかしな、そういう殺人場面の恐ろしさだけがこの物語の中心ではないぞ。多彩な登場人物たちによる人間模様がこの噺の魅力じゃとワシは思うとる。

カ:ということで、つづきをどうぞ・・・。

 

5.土手下の甚蔵

新吉が訪ねた一軒家からは清(せい)という男が出てきて、そこは自分の家ではないという。家主は甚蔵という博打打ちで、何日も帰って来ないこともザラとのこと。自分は雨宿りでここにいるのだという。江戸者が近傍で宿を取るにしても水街道までいかなければ無いので、ここへ泊まっていけばよいという。そこへびしょ濡れの甚蔵が帰ってきた。新吉に気がつくと、何もない家だが泊まっていけという。そして土手のところで人殺しがあったことを語り始めた。

 

清が帰ったあとで、甚蔵は、自分もかつては江戸にいたのだといい、田舎の人間とは話が合わないのだという。また、若い新吉が江戸からこの地に来たのには訳があるのだろうと、この家の留守番をしていてくれれば助かるといった話をする。そして、自分には身寄りがないので、兄弟分になろうという。酒はないので、番茶で兄弟分の杯を交わしたところで・・・

 

甚蔵「兄弟分になったからには兄に物を隠しちゃいけねえぜ」

新吉「ヘエヘエ」

甚蔵「今夜土手で女を殺したのはお前だのう」・・・

新吉「 ヘエ、どうも、ち・・・ちっとばかり、こ・・・殺しました」

甚蔵「ちっとばかり殺したってことがあるか」

 

それでいくら金を取ったのかと甚蔵が聞いてくるので、殺した女は自分の女房であること、自分は豊志賀に祟られていることなど、これまでの経緯を新吉は説明した。

 

甚蔵「薄気味悪いことばかり言いやがる。・・・それじゃあ一文無しか」

新吉「ヘエ~」

 

その翌日、甚蔵の家で休憩中の農夫たちの会話を新吉は耳にする。この日は三蔵どんのところで法事があり、殺されたお久の初七日で、法蔵寺に葬られたという。無尽のまじないにそういう仏様に線香をあげるとよく当たるのでと農夫たちに場所をたずねると、法蔵寺は「累伝説」の累(かさね)の墓がある寺ときけば分かるからとの説明を受ける。

 

法蔵寺でお久の墓を探していると、そこに下女を連れた美しい娘がいた。娘は死んだお久に似ていると思ったら身内の者だという。下女に自分は江戸から出てきたことを話すと、娘もかつて江戸で奉公をしていて、田舎に帰ってきたものの、話し相手がいないのだという。質屋の三蔵のところにいるのでぜひ遊びに来いとのこと。娘も、色白の新吉に一目惚れ。そこへ一匹のヘビが足下に現れ、驚いた娘は新吉の手にすがりつく。そして見つめ合う2人。

 

三蔵の家へ甚蔵が訪ねてきた。質に取ってもらいたい品物があるという。巻いてあった手ぬぐいを取ると錆び付いた鎌であった。これで20両を用立ててもらいたいという。三蔵は「冗談じゃない」と一蹴するが、甚蔵は引かない。その鎌はお久殺しに使われたもので、柄には丸に「三」の字の焼き印がしてあり、三蔵のところの鎌なのだ。この鎌が他へ知れたらまずいだろうというのだ。仕方なく三蔵は甚蔵に20両を渡した。

 

その晩のこと、三蔵の妹のお累(るい)が寝ている座敷にヘビが現れた。驚いたお累が駆け出したとたん、母親がそれを止めようとしたはずみで、囲炉裏に掛かっていた薬缶の熱湯をかぶり、お累は顔に大火傷を負ってしまう。

 

以来、お累は食事ものどに通らない落ち込み様に。火傷だけが原因ではないと感じた三蔵は下女のおせなから法蔵寺での一件を聞き出す。お累は新吉に惚れてしまっているという。村の口利きである石田作右衛門に頼み、甚蔵の処へ掛け合いにやることに。

 

作右衛門「年齢22、3の若え、色の白え江戸者のことで参った」

甚蔵「旦那、堪忍しておくんなせえ、田舎珍しいから、柿なんぞをピョコピョコ取って喰いかねねえ奴で」

作右衛門「誰が柿ィ取ったって」

 

三蔵の妹・お累が新吉に惚れてしまい、内儀(かみさん)になりたいと言っていることを伝えると、そいつは有難いと甚蔵。ただし、新吉には大きな借金があるので、それをきれいに片づけてもらえたらという。額を聞くと30両ばかりというが、もちろんこれは甚蔵の出任せ。作右衛門は三蔵にそのことを伝えると、

 

三蔵「相手が甚蔵だからそのくらいの事はいうに違いない。よろしい、その代わり、土手の甚蔵が親類のような気になって出這りされては困るから」ということで、30両を手切れ金代わりに渡すことで話が決着。作右衛門の媒酌で、11月3日に婚礼が行われた。ところが、いつまでたってもお累が出てこないので新吉が心配していると、屏風の外の行燈のところに鬱いで向こうを向いているお累がいた。訳を聞くと、

 

お累「こんな処へ来て下すって、誠に私はお気の毒様で、先刻から色々考えておりました。・・・私のような者だから、もう三日もいらっしゃると、愛想が尽きて直きお見捨てなさろうと思って、そればっかり私は心に掛って、悲しくて先刻から泣いてばかりおりました。」

新吉「そんな詰まらんことを言って、・・・お前の方で可愛がってくれれば何処へも行きません、見捨てるなどと此方(こっち)が言う事で」

お累「だって私はね、貴方、こんな顔になりましたもの」

 

その顔は法蔵寺で見たのとは大違い、半面火傷の傷、額から頬へ片鬢抜け上がり、あまりに人相が変わっていたので、新吉は身の毛が立った。しかし、つくづく考えてみれば、これも豊志賀の祟りなのかと新吉。屋根裏で物音がするのでヒョイとみると、縁側の茅葺き屋根の浦の弁慶というものに草刈鎌が掛けてあり、そこに屋根裏を伝ってきたヘビが纏い付いたかと思うと、ヘビはポツリと二つに切れて縁側へ落ちた。驚いたお累は新吉にすがりつく。その手をとって新枕。悪縁とはいいながら、たった一晩でお累は身重となった。

 

 

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