半分は自分のための覚書。
少し前作業で取り扱った
Acceptance and Commitment Therapy(アクセプタンス コミトメント セラピー)
について。日本ではそれほど知られていない?!たくさんの情報があるわけではないみたいです。
そんな中ウェブ検索で見つけた記事です。
ACT vs ACT

 ACTというと、現在の日本では、Assertive Community Treatment(包括型地域生活支援プログラム) のことと思われるでしょう。
 今回、こころの臨床で紹介しているACT(アクト)は、Acceptance and Commitment Therapy(アクセプタンス コミトメント セラピー)の頭文字を取ったものです。当社では、今までも、家族療法、認知療法、など、まだ日本でなじみ がない時から、ご紹介してきました。今回ご紹介するACT(アクト)も、まだまだ日本ではなじみがない治療法だと思います。聞いたこともない、という先生 方が多々いらっしゃられると思います。
 私が、ACTというのを目にしたのも、ほんの2年ほど前だったと思います。仲のいいアメリカのNew Harbingerという出版社から、ACTとタイトルが付いている本が、次々に送られてきました。最初は、地域生活支援のACTの本だろうと、読まずに 積んでおきました。あるとき、アメリカの認知療法の世界でACTが話題になっているということを小耳にはさんで、あれっと思って、積み上げていた本の一つ に目を通してみました。なんと、地域生活支援のACTとは、全く違った、新しい治療モデルでした。
 全く今までの治療法とは違ったACTとは、どんなものなのでしょうか。
 これがまた、とてもわかりづらいのです。分かりやすく説明できないのがACTなのだそうですが、ACTの治療者の先生がたからのお叱りを覚悟で、ごく簡単に、そして独断的に自分なりの解釈をしてみます。
 私が最初に思ったのは、言葉が心を縛っている、言葉が心に悪さをしている、ということでした。極端にいえば、言葉は悪だ、という印象でした(すいませ ん、本当は違うのです。)たとえば、今、イチゴがおいしい季節です。イチゴのショートケーキという言葉から、おいしそうなケーキがイメージされます。言葉 がイメージを引き出しました。この関係を切ってしまおう、変えてしまおう、というのが、ポイントのような気がします。言葉で考えると、今現在のことだけで はなく、昔のことや、いやなことを思い出します。すごくつらいことなどを考えていると、ますますつらくなります。そこで、この言葉の持つ力をとってしまう とどうでしょうか。たとえば、イチゴ、イチゴ、イチゴとイチゴを100回繰り返すと、イチゴは、単なる発音されたもので、意味の持たない言葉として発音さ れます。「うつ」がつらい時に、うつ、うつ、うつ、と何度も繰り返すと、うつが持つ意味がなくなり、単なる発音としてのうつになります。言葉が心に影響を あたえる(認知的フュージョン)ことから、言葉と心への影響を切り離す(脱フュージョン)こと、が治療のポイントなのではないか、というのがごく大雑把な 私の理解です。
 そうしてみると、今までの著名な哲学者は、言葉で考えています。言葉で考えていると、大体に辛いことを考えてしまうようです。生きるとは何か、を考えて いると、生きるとは辛いことだ、というように思考が流れていくようです。聖書にもありますが、言葉は神と共にあった、言葉は神であった、と記されていま す。言葉は、神といえるほどにパワフルな存在なのでしょう。その言葉の束縛から離れるということは、すごく難しいです。考えないようにしても、考えてしま うんです。
 ちょっと仏教の思想と似ていませんか。座禅とか瞑想、密教などもそうでしょうか。 「今の瞬間に気づきをむけ、現実をあるがままに知覚し、思考や感情に とらわれない」というのがブッダの教えにあるそうですが、今ここで知覚されることを思考の働きで変化させない、ということのようです。思考、身体感覚、記 憶などの私的事象は、変わり続ける一過性の出来事で、そこには不変の自分は存在しない、一過性のものにとらわれることなく、思考によって作り出される悪循 環から抜け出す、というのが無常、無我の考えだといわれます。
 お釈迦様の教えからみると、言葉は、抑制作用をもつのかな、と感じます。言葉で考え続けると、過去のことをいろいろ考えたりすることになり、過去のこと でも悪いことが思い出されることが多いようです。悪いことはいつまでも心に残っていて、楽しいこと、いいことは一瞬なんですね。心を元気にするのは、どう も言葉ではなく、音楽だったりします。行進曲なんて、心を高揚させますよね。言葉を使ったとしても、簡単なほうがいいんですね。オバマ大統領が一言 Change」といったように、簡単なほうがポジティブな方向を示しやすいのでしょうか。長く言葉を使うと、大体悪いことを批判することになりますし、 失言して大変なことになるわけです。
 ふと今ここで思ったのですが、境界性パーソナリティ障害は、invalitatingな環境が一因になっているといわれます。この invalitatingという言葉、Linehanが言っているのですが、最近Linehan関係の翻訳本を準備していることから、翻訳するのに苦労し ています。非承認的、とか、非認証的、とか訳されます。要は、言ったことやしたことが認められない、反対される、という意味のようです。境界性パーソナリ ティ障害は、戦争に負けた日本とドイツ、そして文化が多様なアメリカで問題になっていて、ヨーロッパなどでは、あまり大きな問題ではないようです。そのた め、アメリカの診断基準には、大きく取り上げられていますが、ICD10では、それほど大きくは扱われていません。文化が違ったり、習慣などが違うと、考 えや行動が周りと違い、否定されたり認められないことが多いということも影響があるのかもしれません。こういう状況で、自分が否定されるため、自分の心に 影響が及ばないようにある種のバリアーを作ってしまうということもあり得るのではないでしょうか。そのため、心に気づかない、自分の気持ちに気付かず、辛 い感情が生じてくる、と考えられないでしょうか。Linehanの弁証法的行動療法が、気づきを重要なポイントにしていることが、こう考えてくるとよく分 かります。

 言葉を使わない、というのは、本当に難しいです。瞑想、座禅などでも、すぐ雑念が出てきてしまいます。そうじゃなくても、よし、5分間考えないぞ、とやってみても、すぐに思考が侵入してきます。
 以前当社から本を書いていただいた気功の先生にちょっと気功の手ほどきを受けたことがあります。気功でも、考えずにイメージします。自分の体の骨をイ メージするというのがあって、考えずにイメージしていると、骨格が鮮明に画像のように頭の中に出てくるそうです。そしてその病的なところをイメージで治し ていくそうですが、私がやってもいろいろ考えばかりが侵入してきて、イメージは全く何も浮かんできません。熟練してくると、いろいろな色のイメージなど浮 かんでくるそうです。」