どのスピリットも


今世か幾世か先の世で


自ずと覚醒の道へ進みます。


そうでなければ


淘汰されていき。




わたしにとっての覚醒の道の歩みは


永いスピリット世から言えば


始まりの黎明期に過ぎないのかもしれない。


別な角度から観れば


ようやく到達した点であるのかもしれない。


それはどちらでもよい。



これからおそらく


2元の極みまで行き


光が観えかけて


それに依存する人は


あと一歩で呑み込まれる・・・


なんてこともあるかもしれない。



話は変わりますが


自分は2度、お産を経験したのですが


2度とも


痛みがクライマックスから


始まりました。


「最初からこんなに破壊的に痛いなん


て・・・産まれる時は私一体どうなる


の?」


そう思っていました。


けれど、これは不思議な感覚なのですが


極まった時は


他のスピリット世の援護を感じるのです。


だから


痛いのに


そこには自分はいないような。


で、実際のところ


わたしは胎児の頭が、器官の出口まで


来ていたので


痛みもクライマックスでしたが


所要時間はとても短く済んだのです。



このこと


覚醒の道のりを歩んでるとき


いつも思い出します。


「苦しい時間はいつまで続くのだろう?」


絶望することも多いです。


ニュースなど観ればね。



だけど


自分がほんの黎明期にいることや


覚醒の進み方はスピリットそれぞれであることを解すると


光っぽいニュースにも、


闇っぽいニュースにも、


揺らがなくなります。


そう在るように務める、という表現が正解かな。



今日はここまでです。


拙いブログを


いつもお読み下さり


本当にありがとうございます。