観ないふり。が


嫌でも明らかになる


ご時世。


昨日、身内の家庭の泥沼化と書きましたが


知人が打ち明けてくれた話の中でも


込み入った家庭内の事情を


聴く機会があり、


両者の話の中で共通して


気になるフレーズがありました。


「そのことにはもう覚悟ができていて。」


というもの。


お二方とも同じことを仰っていました。


「困難な事態を目前にして、


それを受け入れる準備は調っている。」


という決意の言葉。


それを履行なさるのかどうかは


ご本人次第です。


が、20年、30年と観ぬふりを決め込んだ


課題は、


育ちに育って


一筋縄では行かないだろうな・・・


と、観察できます。



ただもう、


隠そうにも


マンホールの蓋が外れた時のように


明るみに出される力が


強いですよね。


それに少し、驚いています。


「家系」の先祖さんたちや


ガイドたちが総出で


わっしょいわっしょい


してる感じ。


本人が耐えうるかどうかなど


度外視です。



かと思いきや


「あと3世くらい、体験プロセスを経るつもりなのかな。」


と観察が続く我が大旦那ですが


ここへ来て分岐点がやって来ました。


どう転じるか。


観守る課題は


果てなく続きます。



すべてが我がこと。



お読み下さり


ありがとうございます。