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●アラフィフ女性のみなさまへ
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毎日家事や仕事にがんばってる
アラフィフ女性の皆様、本当に素敵です
自分自身をたっぷり褒めましょう
自分はとっても偉い!
スピリチュアル宇宙ナビゲーター
礼蘭(れいら)です。
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今日は私が丹精込めて大切に大切に
持っていた心のブロックのお話の続き
40年前の落とし穴
(その3)
(その2はこちら)
高校生がいきなり
病院で看護生活💦
大部屋で付き添いをしている人たちに
いろんなことを教えてもらいながら
付き添い看護の生活が続いた。
病院で看護生活をしているある夜
寝る前に、母に将来あんなことしたい、
こんなことしたいと話そうとしたが
半身が動かない母を見ていたら、
将来の夢を話しても
今の母には
どうすることもできない。
もうこの人には話せない。
話してもだめだと
悲しくなって、
床に布団を敷いて
寝たことを覚えている。
そんな事も忘れ、看病生活が続く中、
血圧で倒れても軽い人だと2,3か月で
退院する中、母の病状は重く、
1年半の入院・リハビリ。
リハビリ専門の施設にいた時には
退院に向けて
体を動かしたり、日常生活ができる
練習をしていたが、
半身は動かないままだった。
リハビリ専門の施設にて
退院は一応決まったから
その前に患者はみんな
脳の中の血管に血がどのくらい流れて
いるかの検査をするために入院。
頭に薬を入れる。
流れている血管が木の幹のよう
に映し出されて、それでその人の
頭の血管の状態がわかる。
その検査をしたら
頭の中の写真は真っ白に写り
ほとんど詰まっている状態で
流れてはいなかった・・・。
母はそのまま3日間意識不明に
なった
父や母の弟(叔父)が
交代で病院に泊まり込んでいた。
そして・・・
母は47歳という若さで
亡くなってしまった。
私が高校の卒業式の1週間前の出来事。
母の弟(叔父)は
医療ミスがあったのではと。
他にも、
最初母が倒れて大きい病院に行く前に
地元の医者に来てもらい応急処置。
血管が切れたと思い
血を止める薬を入れたから
余計に動かなくなった。
などなど、いろいろ言っていたけれど。
叔父さんも二人きりの姉弟で
両親も早くになくしたから
今思うと寂しかったのだろう。
いろんな記憶が蘇る。
今思っても一番驚いたのが
火葬場に行ったとき。
裏に回ったのかよく覚えてないが、
火葬場の職員しか入れないような場所に行き
布か何かにつけた火を遺体に
放り込むことをさせられる。
最初の点火。
私は嫌だと言ったが、
あんたがしなきゃ誰がする
と言われ泣く泣くする。
今思ってもなんだそれー!
(40年前の常識は怖い)
火葬後のお通夜の日の事は
ぜんぜん覚えていないけれど、
中学3年生の弟、父、祖母がいて、
なぜか私が頑張らないという思いで
頭がいっぱいになり、お葬式の日に
涙はでなかった。
親戚の人は、私が泣くだけ泣いて、
泣き疲れて葬儀の日は泣かなかったと
思っていたようだが、
母のいないこれから先のことを考えると、
泣くどころではなかった
(これが私のその後の人生に
大きな影を落とすことになる
悪魔の思い込み・・・
私が頑張らないと)
高校3年生の3月、
母が病気で亡くなったのを機に、
お姉ちゃん(長女)だからと暗黙の内に
地元に残り、就職をして家事などをした。
それからの10年は、またまた
大波乱の人生に・・・・。
【その4に続く】
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そして、一日泳いでないと死んでしまう
マグロか鰹のように
今日も癒しのサポートに走る礼蘭!!
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