99%
宮城県南三陸町は、街全体が津波にのみ込まれ
約1万7000人の人口のうち、
約1万人の安否が分からなくなっている。
多くの市民とともに
町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、
その中に津波に襲われるまで
防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいました。
町危機管理課職員でもある遠藤未希さん。
彼女は、津波が押し寄せる中
3階建ての役場別館防災対策庁舎に残り、
懸命に無線放送を続けた。
「早く逃げてください!」
「6メートル強の波があります。早く逃げて!」
「波が堤防を超えました!」
次の瞬間、
高さ10メートルを超える津波が町役場を襲った。
津波は3階建ての役場を飲み込んだ。
役場は、鉄筋を残し
すべてを押し流してしまった。

助かったのは
庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた10人だけだったという。
その中に未希さんの姿はなかった。
生き残った職員の中には
最後まで放送を続けた未希さんが流されるのを見た
という人もいると言う。
地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さんは
その未希さんの放送の声を聞き、
着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。
停電で信号が動いておらず、
周辺道路は渋滞。
高台への道路を上がる時振り向くと、
津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。
芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、
数十メートルの高さの高台に逃れた。
車を降りて避難所の階段を上がった。
そこで芳賀さんは
たまたま避難していた未希さんの母親遠藤美恵子さんを見つけた。
芳賀さんは遠藤さんの手を握って言ったそうです。
「娘さんの声がずっと聞こえたよ」
彼女の放送は、
きっと
多くの市民の命を救ったはずです。
まだ24歳の若さ。
しかも結婚したばかりで
これから披露宴をする予定だったと言います。
彼女の安否は未だ確認されていません。
岩手県大槌町は
1000人を超える死者・行方不明者を出しました。
町の消防団第2分団の団員たちは、
地震が起きるとすぐに防潮堤の門扉を閉じるため
一斉に防潮堤へ向かった。
「おみゃーは屯所でサイレン鳴らせ」
14カ所ある門扉の1カ所を閉め終わったところで、
団長の越田冨士夫さんは
団員の飛内さんに指示を出した。
津波が目の前まで迫っていた。
住民を円滑に避難誘導するには、
全域に危険を周知する必要がある。
飛内さんはサイレンを鳴らすため
近くの分団屯所へ車で向かった。
スイッチは1階。
飛内さんはボタンを押した。
しかし鳴らない。
地震で町全域が停電し
装置が作動しなかった。
間もなくして団長の越田さんが屯所にやってきた。
状況を報告すると越田さんは「よし」と一声。
屯所の屋上に上がり叫んだ。
「早ぐ行げ。みんなを避難させろ」
そう言った越田さんの手には
普段は火の見やぐらから外してある半鐘が握られていた。
それが飛内さんが見た越田さんの最後の姿となった。
「カン、カン、カン」
大災害時にだけ使用が許可されている特別な鐘。
越田さんは懸命に鐘を鳴らし続けた。
その乾いた音は遠くまで響いた。
「カン、カン、カン」
当時、数百メートル離れた高台に避難していた人は
その音を確かに聞いた。
「海の様子が見えていたんではないか。何とも寂しい音だった。今も耳から離れね」
「カン、カン、カン」
越田さんの鳴らす半鐘の音は
津波が屯所を飲み込むまで
響いていたという。
越田さんの行方は
今も不明のままです。
宮城県南三陸町は、街全体が津波にのみ込まれ
約1万7000人の人口のうち、
約1万人の安否が分からなくなっている。
多くの市民とともに
町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、
その中に津波に襲われるまで
防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいました。
町危機管理課職員でもある遠藤未希さん。
彼女は、津波が押し寄せる中
3階建ての役場別館防災対策庁舎に残り、
懸命に無線放送を続けた。
「早く逃げてください!」
「6メートル強の波があります。早く逃げて!」
「波が堤防を超えました!」
次の瞬間、
高さ10メートルを超える津波が町役場を襲った。
津波は3階建ての役場を飲み込んだ。
役場は、鉄筋を残し
すべてを押し流してしまった。

助かったのは
庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた10人だけだったという。
その中に未希さんの姿はなかった。
生き残った職員の中には
最後まで放送を続けた未希さんが流されるのを見た
という人もいると言う。
地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さんは
その未希さんの放送の声を聞き、
着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。
停電で信号が動いておらず、
周辺道路は渋滞。
高台への道路を上がる時振り向くと、
津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。
芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、
数十メートルの高さの高台に逃れた。
車を降りて避難所の階段を上がった。
そこで芳賀さんは
たまたま避難していた未希さんの母親遠藤美恵子さんを見つけた。
芳賀さんは遠藤さんの手を握って言ったそうです。
「娘さんの声がずっと聞こえたよ」
彼女の放送は、
きっと
多くの市民の命を救ったはずです。
まだ24歳の若さ。
しかも結婚したばかりで
これから披露宴をする予定だったと言います。
彼女の安否は未だ確認されていません。
岩手県大槌町は
1000人を超える死者・行方不明者を出しました。
町の消防団第2分団の団員たちは、
地震が起きるとすぐに防潮堤の門扉を閉じるため
一斉に防潮堤へ向かった。
「おみゃーは屯所でサイレン鳴らせ」
14カ所ある門扉の1カ所を閉め終わったところで、
団長の越田冨士夫さんは
団員の飛内さんに指示を出した。
津波が目の前まで迫っていた。
住民を円滑に避難誘導するには、
全域に危険を周知する必要がある。
飛内さんはサイレンを鳴らすため
近くの分団屯所へ車で向かった。
スイッチは1階。
飛内さんはボタンを押した。
しかし鳴らない。
地震で町全域が停電し
装置が作動しなかった。
間もなくして団長の越田さんが屯所にやってきた。
状況を報告すると越田さんは「よし」と一声。
屯所の屋上に上がり叫んだ。
「早ぐ行げ。みんなを避難させろ」
そう言った越田さんの手には
普段は火の見やぐらから外してある半鐘が握られていた。
それが飛内さんが見た越田さんの最後の姿となった。
「カン、カン、カン」
大災害時にだけ使用が許可されている特別な鐘。
越田さんは懸命に鐘を鳴らし続けた。
その乾いた音は遠くまで響いた。
「カン、カン、カン」
当時、数百メートル離れた高台に避難していた人は
その音を確かに聞いた。
「海の様子が見えていたんではないか。何とも寂しい音だった。今も耳から離れね」
「カン、カン、カン」
越田さんの鳴らす半鐘の音は
津波が屯所を飲み込むまで
響いていたという。
越田さんの行方は
今も不明のままです。