「こころ」はだれにも見えないけれど
「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど
「思いやり」はだれにでも見える
震災後、このCMを何度目にしたことだろう。
そんなこと言われなくても分かってる、
正直もううんざりという人も多いはずだ。
けれども、
今日の電車の中で、足腰の弱った老人を目の前にして
平然と座っていられる人たち。
反対側の空いた席にさっと座る中年女性。
人間の本質ってこんなもの?
「こころ」はだれにも見えないけれど
「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど
「思いやり」はだれにでも見える
震災後、このCMを何度目にしたことだろう。
そんなこと言われなくても分かってる、
正直もううんざりという人も多いはずだ。
けれども、
今日の電車の中で、足腰の弱った老人を目の前にして
平然と座っていられる人たち。
反対側の空いた席にさっと座る中年女性。
人間の本質ってこんなもの?
自慢ではないが(と書くと、たいていは自慢だが)、僕はよく人に道を聞かれる。
それも外国人に。
彼らの目には、僕が人畜無害な日本人に映るのだろう。
これは喜んでいいのかどうか。
そう言えば、日本人からはなぜかトイレの場所をよく聞かれる。
これは、謎だ。
高田馬場はラーメン店の競争が激しい場所。
有名店、人気店が軒を連ねている。
僕は基本的にラーメンはあまり食べない。
中華料理屋で頼むのは専ら炒飯と餃子。
そんな人間でも、ここに来たらラーメンを食べたくなる。
今日のお目当ては「純蓮」というお店。
本店は札幌にある有名店だが、その東京店が高田馬場にある。
ここの味噌ラーメンは熱々で本当に旨いのだ。
ということで久しぶりに純蓮へ行くことにした。
頭の中は熱々のスープでもういっぱい。
が、人気店には行列ができていた。
昼時ということもあって、10人くらいが寒空の下に並んでいる。
嫌いなんだよなあ、行列…
しかも、たかがラーメンと思っているのに、並んで待つという行為が自分として許せない。
でもやっぱり熱々の味噌ラーメンが…
という葛藤を繰り返して出した結論が、「隣の空いているラーメン屋に入る」。
見ると、そこそこ人は入っていて、店構えもいわゆる有名店っぽい感じ。
(たしか旭川に本店があって、その支店と書いてあったような)
妥協案としてここで食べてみることにした。
ここで得た教訓。
「ラーメン屋の行列は正直」
…いや、味は良かった。
スープとか、麺の歯ごたえとか。
チャーシューもかなり美味しかったし。
グルメを気取って偉そうなことを言うつもりはないのだが、なにがダメか言うと…
・スープがぬるい
・餃子が熱々じゃない
これはアカンと思う。
想像するに、スープを丼に入れてから麺がゆであがるまでの時間が長すぎるんだろうと。
餃子もラーメンの出来上がりを待って冷めてしまったんだろうと。
でも、ラーメンも餃子も熱々を冷ましながら食べるのがいいのであって、あれはないよなあ。
純蓮の熱々のラーメンを最初に想像してしまったために、その失望は大きかった。
大丈夫かな、あの店。
半年後には違う名前になってそうな予感。