道東自動車道を夕張ICで一旦下りました。以前から行ってみたいところがあったからです。夕張市の炭鉱遺産を少し見てみることにしました。夕張市は炭鉱で栄えた街です。炭鉱産業の発展とともに栄え、炭鉱産業の縮小とともに衰退していきました。

 

「北炭夕張新炭鉱ガス突出事故慰霊碑」を訪れました。

 

1981年10月16日、ここ北炭夕張新炭鉱の坑道でガス漏れ事故が発生しました。運良く避難できた方もいましたが、多くの方が坑内に取り残されてしまいました。その後、救出作業のさ中、火災も発生。火災による熱と煙により、収束が見通せない事態となりました。

 

そこで会社が出した結論は「近くの川の水を引き込み、行方不明者を残したまま、炭鉱内に注水する」と言うものでした。それは、火災は収まるかもしれませんが、行方不明者を見殺しにすることを意味します(ただ、当初より行方不明者の生存は絶望視されていた)。会社側の説明に家族は猛反発。しかし、会社側は注水の姿勢を崩さず、社長が家族に対し

 

「お命を頂戴致します」

 

と、発言をされたことは有名な話です。事故から6日後の10月23日、炭鉱内への注水を開始。注水により事態は収束しました。結果的に死者93人に上りました。現在は閉山されていますが、通常閉山の場合、コンクリートで入口を完全に塞いでしまうものです。しかし、遺族の「(亡くなった本人たちは)苦しかっただろうから、空気が通るようにしてほしい」との要望を受けて、コンクリートでは塞がず、鉄格子で立ち入り禁止の措置が取られています。

 

日本のエネルギー産業を支えてくれた犠牲者の方々のご冥福を祈り、慰霊碑に手を合わせました。