半村良晩年の作品『葛飾物語』は懐かしい。 | kakumomo3112のブログ

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Yahoo blog からの転校生、すなわち大量難民のひとりですが、ボクはこの種の経験が2度目。
高齢者としては安心して定住したい。
新天地でもたくさんの友人ができますようにと願っています。

半村良、ペンネームの由来がイーデス・ハンソン(テレビの外人タレントの走り、女性)だということを聞き覚えていましたが、半村良本人が否定しているそうです。
ウキペディアさん情報、どうかなあ。

近所の古本市場で先日100円で入手。
半村良(はんむら りょう、1933年10月27日 - 2002年3月4日肺炎のため死去)本名、清野 平太郎) 彼の本を読むのは今度が初めて。
週刊誌や雑誌で目に触れていた可能性はあるが、この人物に関心を寄せてこなかったから、彼の文章についての具体的な記憶は全く無い。

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中央公論社 1996年2月発行(初出「小説中公」94年11月号~95年11月号) 本体1553円

この本を「安いから買った」と言ってしまえばそれまでだが、表紙を見ればなんとなく見覚えがある「表通り」の雰囲気。ボクが知る葛飾区にはこんな感じの通りが多い。

目次を開くと、話しの始まりがとても気になった。
第1章 昭和18年の場      (戦中)
第2章 昭和20年の場     (敗戦)
第3章 昭和22年の場   (戦後の混乱)
第4章 昭和24年の場   (生活の再建)
第5章 昭和26年の場
あとは間が開いてきて昭和30,40,50,60,63.と一続き。平成の場が終章となるが、この終章は2pしかない。

第1章 昭和18年の場、には物語の大道具として染め物の「友禅工場」の洗い場10年前に架けられた「本奥戸橋」など。
この辺り某町の長屋の住人と大家一家、友禅工場の経営者などが、誰が主役でも無く公平(リベラル)に会話しケンカし、移転し、亡くなり、若い者は兵隊に取られ、子供が産まれもしていく。
第2章は敗戦の年のこと。
以下、ふと気が付けば、町の様子も変わり、人も入れ替わり、暮らしの様子も変化していく。

何か言いたいことがある、というような立派な話ではない。庶民は昭和という時代の多くをどのように受け止め、一生懸命に生きたのかだけしか書かれていない。
そもそもこの本の文体は、6,7割が会話で進行する。この巧妙な会話を読みながらふと気付くと、映画「フーテンの寅」の登場人物のしゃべくりのリズムに乗せられた自分がいる。

ウソの無い庶民、それは第10章 昭和63年の場へきて、昭和天皇の病状を気遣いながら歳末を迎えた庶民の言葉に如実に表現されているので、気になる人は読んでみてほしい。

読後の雑駁な印象でいうなら、面白いのは、ディテールの書き込みが丁寧な中程過ぎたあたりまでか。また、前半部分がなぜそれに成功しているかというと、彼自身がそこで暮らしていたからである。今の葛飾区と共通なニュアンスもあれば、すっかり時代が変わったことを痛感する話しもあろうか。

彼の人生をとおし、実質最後の長編であることはこれまたウキペデァで知った。出版された本の最後から二番目、ただし最後の一冊は病床でのエッセーのようだ。
以下、ウキペデァからのつまみ食い。参考までに

 東京市(現東京都)葛飾区生まれ。小学1年生の時に父・清野茂を失う。1942年から1945年まで石川県能登地方に疎開していた。東京都立両国高等学校を卒業後、連込み宿の番頭やキャバレーのバーテンなど30近い職業を転々とした。

1975年、SF作家としては初めて直木賞を受賞したが、授賞対象となったのは人情小説『雨やどり』であった。以降もSF小説の直木賞授賞作はない。
1988年、人情物とSFとを融合させた作品『岬一郎の抵抗』で日本SF大賞を受賞した。

戦国自衛隊(ハヤカワ文庫、1974年、のち角川文庫、ハルキ文庫)
        * これは映画にもなったが、ボクは原作が彼とは知らなかった。

自分の職業を「嘘屋」とよぶほどの「奇想ぶり」を発揮する一方で、下積み生活が長かったことを反映しての人情小説なども書いた。また『軍靴の響き』のような、再軍備に警鐘を鳴らす小説も発表している。財閥や政治家を巨悪として設定する物語が多く、『戦国自衛隊』末尾では痛烈きわまる皇室批判も語られる。

最後の作品群
たそがれ酒場(中央公論社、1994年、のち文庫)
昭和悪女伝(集英社、1994年、のち集英社文庫)
講談大久保長安(光文社、1995年、のち学陽書房人物文庫)
葛飾物語(中央公論社、1996年、のち文庫)
すべて辛抱(毎日新聞社、2001年、のち集英社文庫) (病床日記か?)

以上